Ne-Yoとの契約を検討していたというDr. Dre。契約実現を阻んだ「ある要素」とは。


Ne-Yoとの契約を検討していたDr. Dre
2006年、[Def Jam]から発表したデビュー・アルバム『In My Own Words』で、いきなり全米アルバム・チャートを制覇したNe-Yo。
しかし、スターへの道を歩み始めるまでには、いくつもの紆余曲折があり、[Def Jam]と契約する以前、Ne-Yoは[Columbia Records]に所属。
さらに遡ると、[Columbia Records]との契約以前には、あのDr. DreがNe-Yoとの契約に関心を示し、コラボレーション契約を結ぶ話も進んでいたという。
しかし、期待されたDr. Dreとの契約は、最終的に実現せず。
そこには、Dr. DreがNe-Yoに対して感じた「ある物足りなさ」が関係していたとのこと。

「彼は俺よりも少しフッドだったんだ」
早くからNe-Yoの才能に注目していたDr. Dreは、彼との契約を検討。
しかし当時、Dr. DreはNe-Yo以外にももう1人のアーティストとの契約交渉を進めており、最終的にはどちらか一方を選ぶ状況だったという。
その中で、当時のNe-Yoが披露したソングライティング能力はDr. Dreの決断を変えるまでには至らず、最終的にDr. Dreはもう1人の候補者を選ぶことに。
その時の心境について、Ne-Yoは「Billboard」のインタビューで次のように回想。
「結局、Dr. Dreは他の男と契約することを選んだ。彼の名前は思い出せないけど、彼は俺よりも少しフッドだったんだ」

「Hood(フッド)」とは、一般的には「地元」や「育った場所」を意味する一方で、「ストリート」や「ギャング文化」と結びついたニュアンスで使われることも多い、ヒップホップの世界で頻繁に使われる言葉。
ギャングスタ・ラップの礎を築いたDr. Dreの視点から見ると、ピアニストの母親、ベーシストの父親を持つ音楽的な家庭で育ったNe-Yoは、当時求めていた「ストリート感」が少し不足していたと言えそう。
Dr. Dreとの契約を逃したことで、Ne-Yoは落ち込んでいたという。
しかしその数分後、Dr. Dreの右腕としても知られる、数々の名曲を手掛けてきた音楽プロデューサーのScott Storch(スコット・ストーチ)と出会い、次のように声をかけられたとのこと。
「Dr. Dreが何と言ったかは知らない。でも、君はドープだよ」

実はこの時、Ne-YoはScottが何者か知らなかったという。
それでも、その言葉を信じて彼の誘いを受け、Ne-Yoは当時Scottが仕事をしていた米フロリダ州マイアミに向かうことを決断。
そこでScottが取り組んでいたのが、R&BシンガーMarioのアルバム制作。
この時、Ne-YoはScottとともに3曲ほどを書き上げたとのこと。
そして、その中の1曲こそが、後にNe-Yoの名を一躍世に知らしめることとなる「Let Me Love You」
Scottから声をかけられたNe-Yoは、この楽曲の制作に携わることになり、Ne-Yoは当時の状況を次のように回想。
「何か特別なことをしているということは分かっていたけど、これが上手くいくとは思ってもいなかった」




































