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Whitney Houstonの死に関する不可解な点。

  • 執筆者の写真: R&B SOURCE
    R&B SOURCE
  • 2 時間前
  • 読了時間: 24分
48歳という若さで亡くなったWhitney Houston

48歳で突然この世を去ったWhitney Houston


Whitney Houston(ホイットニー・ヒューストン)は、'80年代から'90年代にかけて世界を席巻した、史上最高峰のボーカリストのひとり。


圧倒的な歌唱力と洗練されたポップ・センスを武器に、デビュー作から数々の歴史的ヒットを連発。


“Saving All My Love for You”、“Greatest Love of All”、“I Wanna Dance with Somebody”などの名曲によって、彼女は世界的スーパースターへと駆け上がり、'92年には主演映画『The Bodyguard』と、その主題歌"I Will Always Love You"が社会現象級の成功を記録。


Whitney Houston - I Will Always Love You

ところが、その圧倒的な成功の裏側で、彼女の私生活では薬物問題や精神的苦悩が大きく報じられるようになり、かつて「完璧なスター」として描かれていた彼女のイメージは徐々に崩れ始め、メディアも次第に、そのスキャンダラスな側面へと焦点を移していくことに。


それでも彼女は、キャリア復活と依存症克服に向けた挑戦に奔走。


しかし2012年2月11日、グラミー賞前夜。


音楽業界が華やかなムードに包まれる中、Whitneyは滞在先だった「The Beverly Hilton」の浴室で意識を失った状態で発見され、駆けつけた警察官たちが心肺蘇生を試みたものの、午後3時55分に死亡が確認。


享年48歳。


当時、米ロサンゼルス郡の主任検視官Craig Harveyは「People.com」に対し、Whitneyの死因について次のように回答。

「肺から水が検出されたことから、彼女が水中に沈んだ時点ではまだ生存していたと判断しています。検査結果によれば、コカインの濃度自体は、必ずしも致死量ではありませんでした。しかし、長年にわたるコカイン使用と心疾患が、彼女の死を複雑なものにしていました。コカインによる酩酊状態で先に意識を失った可能性があります。あるいは、心臓発作を起こした後に溺れた可能性もある。おそらく、そのどちらかでしょう」

しかし、その死が公式に「事故」と結論づけられた後も、彼女の最期をめぐっては不可解な点を指摘する声が絶えず、現在に至るまで様々な憶測や議論が語られ続けているのもまた事実。

様々な憶測が飛び交うWhitney Houstonの死
Whitney Houston

INDEX|目次








 カテゴリー1 

アーティストたちによる「普通だった」という証言


Whitney Houstonが亡くなる2日前の2月9日。


彼女はKelly Price(ケリー・プライス)が主催したイベント「Kelly Price & Friends Unplugged: For the Love of R&B」のステージに立ち、彼女は笑顔で周囲と接していたという。


そしてステージ脇に何時間も立ち、その後はパーティー参加者たちと一緒にダンスフロアに繰り出したとのことで、Kellyはこの時の様子を「Syracuse.com」の記事で次のようにコメント。

「あの日の夜のWhitneyは、まるでひとりの女の子のようだったわ」
Whitney Houstonと親交があったKelly Price
Kelly Price Whitney Houston

このイベントで共同司会を務めていたKenny Lattimore(ケニー・ラティモア)は、Whitneyについて次のようにコメント。

「彼女はとても楽しんでいるように見えた。だから本当に衝撃だった」

またKennyは、Whitneyが何か問題を抱えているようには見えなかったとも発言。

Whitney Houstonが生前最後に出演したイベントで司会を務めていたKenny Lattimore
Kenny Lattimore

そしてWhitneyの従姉妹であり、シンガーのDionne Warwick(ディオンヌ・ワーウィック)は、Whitneyが亡くなる2月11日の午前中に電話を交わしており、その内容について「Good Morning America」のインタビューで次のようにコメント。

「その朝、Whitneyと電話をしたの。彼女はこう言ったわ。『あなたここに来てるんでしょ?パーティーに来るんでしょ?』って。私は『ええ、行くわよ』と答えた。すると彼女は、『ありがとう。来てほしいの。あなたにはいてもらわなきゃ』って言ってきた。彼女は本当に前向きで、準備も整っていて、とても幸せそうだった。生きる喜びを全て手に入れたようだったわ。彼女は、夢にまで見た新しい映画『Sparkle』への出演もあったし、そしてレコーディングのためにスタジオへ戻る準備もしていた。ボーカルの調子も整え始めていたのよ」
従姉妹関係のDionne WarwickとWhitney Houston
Dionne Warwick Whitney Houston


 カテゴリー2 

Ray Jの噂


Whitney Houstonが亡くなる数日の間に接したアーティストたちの多くは、「彼女は普段と変わらない様子だった」と証言した一方、Whitneyは亡くなる直前までコカインを摂取していたという。


コカインは中枢神経を激しく刺激するため、摂取した直後は一時的に気分が極めて高揚し、非常に元気で前向きに見えることがあるため、当時の彼女の様子も、薬物による一時的な作用だった可能性も指摘。


そしてKelly Price主催のイベントで、Whitneyはあるアーティストと衝突していたという。


「The Hollywood Reporter」が報じた内容によると、WhitneyはシンガーStacy Francis(ステイシー・フランシス)とトラブルを起こしていたとのこと。

Ex-Girlfriendのメンバーとして活動していたStacy Francis
Stacy Francis

'90年代に女性R&BグループEx-Girlfriendのメンバーとしてデビューし、また「X Factor」の元ファイナリストとして知られるStacyは、以前からWhitneyを自身の憧れの存在として公言しており、'99年にはコンサート中にWhitney本人からステージへ招かれ、一緒にパフォーマンスしたこともあったという。


イベント当日、WhitneyとFrancisは再会し、当初は和やかな雰囲気だったものの、その会話の中に、R&BシンガーのRay J(レイ・J)が加わったことで、空気が一変したとのこと。


目撃者の一人は「The Hollywood Reporter」に対して、次のように証言。

「Whitneyが突然、攻撃的になったんです。Rayは『Stacyは家族みたいな存在なんだ』と言って、Whitneyをなだめようとしていました。でもWhitneyは、自分が追いやられているように感じていたようで、互いに手を上げる場面もありました」

最終的に殴り合いには至らなかったものの、現場は非常に緊張した空気に包まれていたという。


当時、WhitneyとRay Jは長年にわたり交際と破局を繰り返していた関係にあり、ここで浮上するのが、そのRay Jの存在。


Ray Jといえば、2007年にKim Kardashianとの「セックス・テープ流出事件」で世間を騒がせ、またSNSでのライブ配信やインタビューでは、音楽界や芸能界のトップスターたちの「裏の顔」や秘密をたびたび暴露してきたことでも有名。


さらに、元妻Princess Loveへの銃による脅迫疑惑での逮捕騒動や、「これまでに12,500人以上の女性と寝た」と豪語する過激な発言でも話題に。


加えて、コンサート中に「目から血を流しているように見える」という不気味な演出を行うなど、その存在は純粋なアーティストというより、「ハリウッドの最もドロドロしたスキャンダルや、闇の境界線に常に立っている人物」というイメージ。

Whitney Houstonと交際していたRay J
Ray J

このような背景から、ネット上の陰謀論コミュニティ、そして一部の遺族の間でも「Ray Jが彼女にドラッグを供給して、死に追いやったのではないか?」と激しく噂されることに。


Kellyのイベントに出演した日、ホテルのバーでWhitneyとRay Jが一緒にいる姿が目撃されており、彼女がひどく興奮状態で暴れていたことから、「Ray Jが何か(薬物や酒)を仕込んだのではないか」という疑惑が浮上。


またWhitneyの遺体が発見された直後、Ray Jがホテルの部屋に駆けつけたものの、警察から立ち入りを拒否され、陰謀論者の間では「部屋にあるドラッグや証拠を隠滅しに来たのではないか」といった憶測まで飛び交うことに。


そしてWhitneyの義妹であるPatricia Houstonは、当時からRay Jに対して強い不信感を抱いており、彼がWhitneyの周囲に有害な影響(ドラッグカルチャーなど)をもたらしていたのではないかとメディアで示唆。


そしてRay J本人は、これらの噂を当然否定。


元NFLのスター選手であるCam Newtonのポッドキャスト番組「Funky Friday」にRay Jが出演した際、これらの疑惑について次のようにコメント。

「世間は俺が現場にいたと思い込み、俺を『殺人犯』扱いしてきたが、それはめちゃくちゃだ。彼女が亡くなった時、俺は現場にはおらずサンディエゴにいた。Whitneyとは一度も、ただの一度も一緒にドラッグをやったことはない」
Whitney Houstonの死に関与していたのではないかと噂されるRay J
Ray J

事件当日、Ray Jは現場のホテル(ロサンゼルス)にはおらず、サンディエゴに滞在していたことが警察の捜査でも確認。


そしてRay Jが事件に直接関与した、あるいは薬物を直接手渡したという刑事的な証拠は一切見つかっていない状況から、この説は決定的な証拠のない「都市伝説」の域を出ていないのが現状。


では、なぜこの説が「陰謀論」として残るのか?


オカルトや陰謀論の視点では、Ray Jが音楽業界の裏組織から送り込まれた「監視役(ハンドラー)」ではないか噂されており、「彼がWhitneyにドラッグを与え続けることで、精神的、そして肉体的にコントロール不能な状態へ追い込み、最終的には切り捨てた」という筋書きまで語られていることが、この説が根強く残り続ける理由のひとつ。


一方で、Ray Jに対する疑惑を加速させるこんな発言があるのもまた事実。


殺人や傷害の罪で、28年の実刑判決を受けた[Death Row Records]の創始者Suge Knight(シュグ・ナイト)は、「The Art Of Dialogue」とのインタビューの中で、Ray Jを次のように非難。

「Whitneyは『Brandyの弟が私にドラッグを持ってきて、一緒にドラッグをやってる』って言っていたんだ。『Brandyの弟が私にキスしようとして、ドラッグを一緒にやろうとしてくる』ってな。そして次に起きたのは、彼女が死んだってことだ」

さらにSugeは、Snoop Doggについて、2Pac殺害資金に関する発言を認める、録音済みの電話が存在するとまで主張。

「お前(Ray J)は、録音された電話のことを自慢してるよな。Snoopが、2Pacを殺すための資金を出した連中の一員だったと、お前に話したことまで自慢してる。だから俺は言うんだ。インタビューで二度と2Pacの名前を出すなってな。なぜなら、お前は『Snoopが関わっていた』と言った、その男とつるんでるからだ。つまりSnoopは、ヒップホップ史上最高のアーティストを殺すことに関与していた。そしてお前は、史上最高の女性ボーカリストだったWhitney Houstonの死に関わっていたんだ」

文脈としては、「Ray J、お前は『Snoopが2Pac殺害側だった』という話を知りながら、そのSnoopと付き合っている。そんなお前に2Pacを語る資格はない。そして同じように、お前自身もWhitneyの死に関わっていた側の人間だ」というロジック。


ただし重要なのは、これは証明された事実ではなく、Suge個人の主張や、陰謀論的ニュアンスを含む発言だという点。


世間やメディアの冷静な見方としては、「Suge Knightは誰から聞いたわけでもなく、ネット上の古い陰謀論を自分の都合のいいように繋ぎ合わせ、さも『裏情報』のように語っているだけではないか」という意見や、彼の特有のショック・バリューである可能性が非常に高いと見るのが主流。

Ray JがWhitney Houstonの死に関与していると主張したSuge Knight
Suge Knight


 カテゴリー3 

 Brandyとの奇妙な関係


Suge Knightは、Snoop DoggとRay Jの付き合いを非難したものの、彼らは従兄弟同士の血縁関係。

従兄弟同士であるSnoop DoggとRay J
Ray J Snoop Dogg

そして、このWhitney Houstonの死に関する最も不可解な点が、Brandy(ブランディ)との奇妙な繋がり。


様々な疑惑が浮上したRay Jの姉こそ、R&B界のスーパースターBrandyであり、Whitneyを最も敬愛していた人物としても有名。


2月9日の午後(Kelly Priceが主催したイベントと同日)、Whitneyが滞在していた「The Beverly Hilton」では、グラミー賞の前夜祭に向けたBrandyとMonicaのパフォーマンスのリハーサルが行われており、その後、Whitneyを長年支えてきた音楽プロデューサーのClive Davis(クライヴ・デイヴィス)、そしてBrandyとMonicaがテレビ番組「E! News」のインタビューを受けていた最中、Whitneyが突然その場に登場。


Whitneyは、なぜか髪が濡れている不自然な状態で現れ、その違和感に気付いたMonicaがなぜそんなに濡れているの?と尋ねると、彼女は毎日2時間泳いでいるなどと少し興奮気味に返答。


さらにその後、なぜかBrandyにだけ手紙を手渡すという、どこか不可思議な行動を見せたWhitney。

Brandyは、Whitneyが亡くなった直後から一貫して「個人的な理由」として手紙の内容の公表を拒んでおり、2026年3月に出版した自伝『Phases』の中でも次のように公言。

「世界中が手紙の内容を知りたがっているのは分かっているけど、私たちの絆の小さな一部を、世間に汚されずに守っておきたい」

この日の夜、WhitneyとRay Jはイベント会場で衝突を起こし、同日の深夜にWhitneyとBrandyは3時間に及ぶ長い電話を交わしたという。


この2日後の2月11日にWhitneyは逝去。


そしてこの2012年2月11日こそ、Brandyの33歳の誕生日だったという、実に奇妙な偶然。


ここで浮上するのが、「秘密結社イル◯ナティ」や音楽業界の裏の組織が関与しているという陰謀論や都市伝説。


イル◯ナティとは、金融、政治、マスコミなどをコントロールし、「世界を裏で操っているのではないか?」と言われている組織で、「音楽業界のトップ・アーティスト達はこの秘密結社に所属している」というのは有名な話。


イル◯ナティなどの秘密結社は、数字(数秘術)を極めて重視し、特定の数字が揃う日に「儀式」を行うと信じるのが、オカルト研究家や陰謀論者のコミュニティにおいての一般的な認識。


そしてイル◯ナティとしばしば結びつけられる秘密結社「フリーイソン」において、会員が到達できる最高にして最後の階級が「第33階級」であることから、彼らが行う重要な計画や儀式には、この「33」という数字がコード(暗号)として意図的に組み込まれているのではないかという噂。


オカルトのベースとなる数秘術において、「11」「22」「33」はゾロ目の特別な数字であり、また一桁に分解して足さないマスターナンバーと呼ばれているという。


その中でも「33」は「マスター・ティーチャー(大いなる導き手)」や「精神的な完璧さ」を象徴する最高峰の数字とのこと。


陰謀論者は、イル◯ナティがこの「33」の持つ強大なエネルギーや霊的なパワーを味方につけるために、歴史的な大事件や生贄の儀式を「33」にまつわる日付や年齢、場所で実行するのだと主張。


つまり、業界最大のイベントである「グラミー賞」の直前(エネルギーが最も高まる日)に、最強のマスターナンバーである「33」歳(Brandyの誕生日)と、「11」日という数字を意図的に組み合わせて、「Whitneyを排除したのではないか」という都市伝説が囁かれることに。


この説を信じる人たちは、組織にとってWhitneyは「すでに全盛期を過ぎ、コントロールが難しくなった存在」であり、次の世代へパワーを移行するための「生贄」に選ばれたのではないかと解釈。


では、秘密結社がなぜ「生贄」を捧げると噂されるのか。


これには、太古から続くオカルト(神秘主義)の思想と、ハリウッドや音楽業界の闇を暴こうとする現代の陰謀論が深く結びついた理由があり、そのひとつとして噂されるのが、生贄が「富・名声・権力」を維持するための対価ではないかという説。


オカルトや悪魔崇拝の教えにおいて、「この世で莫大な富、名声、権力を手に入れるためには、それに見合う『最も価値のあるもの』を悪魔や神に差し出さなければならない」という絶対的なルール(契約)があると信じられており、業界のトップスターやエリート層は、自分たちの富を維持し続けるために、血のつながった家族、親しい友人の心身を「生贄の対価」として捧げる契約を、秘密結社と結んでいるのではないかという噂。


Whitneyの一件でも、「彼女が全盛期を過ぎたため、組織が次の世代(Brandyなど)へパワーを移転するための生贄(対価)として処理した」というストーリーが語られるのはこのため。


もちろん、これらは公式な歴史や科学では証明されていないオカルトの都市伝説であり、しかしハリウッドや音楽業界で起きる大スターたちのあまりにも不自然でシンボリックな急逝(Michael Jackson、2Pac、Aaliyahなど)が、この「秘密結社の生贄説」に永遠にリアリティを与え続けているのも、また事実。


このような背景から、Whitneyが取材中のテレビカメラの前で、Brandyに手紙を渡した奇妙な行動は、Whitney本人の意思ではなく、「組織から渡すように命じられていた、継承の儀式のためのアイテム(または呪物)」だったのではないか、と深読みする声も。


だからこそ、Brandyはその内容を「決して世間に明かしてはならない(明かせば自分の身も危ない)」として、今も固く口を閉ざしているのではないかという憶測も語られることに。

師弟関係だったWhitney HoustonとBrandy
Whitney Houston Brandy

 カテゴリー4 

Whitneyの遺体があるホテルで決行されたパーティー


2012年2月11日の午後3時55分にWhitney Houstonの死亡が確認され、その後警察や検視局による現場検証が行われることに。


その時、彼女の遺体はそのまま部屋(434号室)に残されていた状態。


グラミー賞前日にあたるこの日、Whitneyの恩師である大物プロデューサーClive Davisが主催する伝統的なグラミー賞前夜祭「Clive Davis Pre-Grammy Gala」の開催が予定されていたものの、Whitneyの死という衝撃的なニュースが主催者側に伝わった後、多くの人はイベント中止を予想。


しかし驚くべきことに、Cliveは「Whitney追悼イベント」という形に変更し、イベントは予定通り決行することに。


ホテルの内外は、パパラッチやファンが詰めかけ、また警察の科学捜査車両や検視局のバンが停まるなど、悲劇と狂乱が同時に進行する、信じられない空間になっていたという。


そんな異様な空気の中、ドレスやタキシードで着飾った大物セレブたちが次々とホテルに到着し、Whitneyの急逝についてショックを語りながら、そのまま地下のパーティー会場へと進んでいったとのこと。


このイベントは、元々はWhitney自身も出席し、パフォーマンスをする予定だったことから、主催者のCliveは冒頭でWhitneyへ黙祷を捧げ、次のように発言したという。

「Whitneyは音楽が鳴り続くことを望んでいたはずですし、ご家族からも『続けてほしい』と頼まれました」

そして「CNN」の取材に対して、Cliveは次のようにコメント。

「私は彼女の家族に電話をした。そしてこう言ったんだ。『これは彼女が一番好きだったパーティーなんだ。だから、彼女を称えなければならない』とね。私たちは、彼女の人生を称えるだけでなく、悲しみに暮れる人たちが孤独を感じず、一緒に過ごせる穏やかな居場所を作る必要があった。だから私たちは、彼女が心から愛した音楽とともに、彼女の人生と唯一無二の才能を祝う形で、イベントを続行することに同意したんだ」

Whitney Houstonを育てた大物プロデューサーClive Davis
Whitney Houston Clive Davis

しかし、いくら綺麗に説明したとしても、同じ建物の4階にまだWhitneyの遺体がある中、その地下でパーティーを実行したことは、「冷酷な商業主義」「結局はスポンサーや利益を優先しただけだ」として、今日に至るまで批判され続ける音楽業界の最大のタブーのひとつ。


そして、この「大スターが不審死した直後、遺体を残したまま業界のエリートたちがすぐ下で華やかなパーティーを続けていた」というあまりにも冷酷な事実は、陰謀論者にとって「Whitneyはやはりイル◯ナティの生贄(用済み)であり、あのパーティーは彼女の排除を祝うための儀式だった」という説を決定づける、格好のネタとして語り継がれてしまうことに。


また、Cliveの決断には多くのアーティストから批判の声も上がっており、Chaka Khan(チャカ・カーン)はこの件について次のように激怒。

「完全なる狂気だ。Whitneyの性格を考えたら『ショーを続けろ』なんて絶対に言わない。『すべてを今すぐ止めなさい!』と言うはず。なぜ遺体があるビルでパーティーができるのか理解できない」
Whitney Houstonの死亡当日に行われたパーティーに対して激怒したChaka Khan
Chaka Khan

 カテゴリー5 

母と似た最期を迎えた娘Bobbi Kristina Brown


Whitney Houstonの死に、何か大きな陰謀が絡んでいるのではないかという噂が一気に広がったきっかけのひとつが、Whitneyがその生涯で唯一生んだ実の子供Bobbi Kristina Brown(父はBobby Brown)の、あまりにも不気味な死因。

Whitney Houstonが、その生涯で唯一生んだBobbi Kristina Brown
Bobbi Kristina Brown Whitney Houston Bobby Brown

彼女は、母Whitneyが亡くなったわずか3年後の2015年、22歳という若さで、母親と驚くほどそっくりな状況で命を落とすことに。


2015年1月31日、Bobbiはジョージア州の自宅のバスタブの中で、うつ伏せ(顔が水に浸かった状態)で意識を失っているところを発見され、これは母Whitneyが2012年にホテルの浴室で亡くなっていた時とほぼ同じ状況。


Bobbiは発見された後、昏睡状態のまま回復することなく、約6ヶ月後の2015年7月26日に死去。


米アトランタのフルトン郡検視局は、「薬物中毒と浸水による、脳の損傷および肺炎」が死因であると公式に発表。


彼女の体内からは、コカイン、アルコール、大麻、そして不安神経症の処方薬(鎮静剤)などが検出され、これも母Whitneyの死因とほぼ同じパターン。


そしてWhitneyの死にRay Jという恋人の影があったように、娘Bobbiの死の裏にもNick Gordonという不穏なパートナーの存在があったという話。


Nickは、Whitneyが幼い頃から実の息子のように育てた青年で、Bobbiにとっては「兄のような存在」であり、後に「恋人関係」になった人物。

Bobbi Kristina Brownと恋人Nick Gordon
Bobbi Kristina Brown Nick Gordon

彼女がバスタブで見つかる直前、2人の間で激しい激しい口論や激しい暴力があったことが判明。


遺族側はNickを相手に民事訴訟を起こし、裁判所は彼に「毒入りのカクテルを飲ませ、バスタブにうつ伏せにさせた責任(不法死亡)」があるとして、彼に巨額の賠償金支払いを命じたものの、Nick自身もその数年後の2020年に薬物の過剰摂取で急死。


陰謀論を信じる人々は、「母親の死の真相を知りすぎた、あるいは大人になってそれを告発しようとした娘を、イル◯ナティが母親と全く同じ「バスタブの生贄」というシンボルを使って口封じ(暗殺)したのだ」と解釈。


またWhitneyの命日が「11日」、ブランディの年齢が「33歳」だったことに加え、娘が亡くなった年齢が「22歳」というゾロ目(マスターナンバー)であったことも、陰謀論者にとっては「組織の完璧な計画魔術の証拠」として扱われることに。

Whitney Houstonと愛娘Bobbi Kristina Brown
Whitney Houston Bobbi Kristina Brown


 カテゴリー6 

母Cissyの不思議な体験


Whitney Houstonが、その波乱な人生の中で最も信頼を寄せていた人物が、母Cissy Houston(シシー・ヒューストン)。


Cissyは、著書『Remembering Whitney』の中で、娘Whitneyとの最期について次のように回想。


以下、「Today」の記事をもとに、その内容の一部を抜粋。

土曜日の昼下がりだった。


突然、玄関のベルが鳴った。


誰か来る予定なんてなかったし、不意の来客に少し苛立ちながらドアへ向かった。


でも開けてみると、そこには誰もいなかった。


私はそのままドアを閉め、やっていたことに戻った。


真昼間にベルだけ鳴らして姿を消すなんて、一体誰なのだろう。


私の住むマンションにはドアマンもいたし、人がふらっと訪ねてくるような場所でもなかった。


しばらくして、またベルが鳴った。


今度は本当に腹が立っていた。


急いでドアを開けたけれど、やはり誰もいない。


ますます意味がわからなかった。


どうして誰かがこんな嫌がらせをするのだろう。


私はフロントへ電話をかけた。


誰か私を訪ねて来ましたか?とコンシェルジュに尋ねた。


いいえ、Houstonさん。監視カメラにも誰も映っていません


それなら、一体誰がベルを鳴らしていたの?


その後まもなく、夕方の6時か6時半頃、電話が鳴った。


受話器を取ると、聞こえてきたのは叫び声だけだった。


お母さん!Nippy(Whitneyのニックネーム)だよ!Nippyだよ!


電話の向こうで取り乱していたのは息子のGaryだった。


Gary、どうしたの?


Nippyが…


彼は繰り返した。


見つかったんだ!


どこで?


上で見つかったんだよ!


彼は泣き叫んだ。


上で見つかったんだ…もう僕はあそこには戻れない!


Gary、何があったの?


私は恐怖に駆られながら叫んだ。


ちゃんと話して!


でも彼は、結局何が起きたのかを口にしなかった。


自分でもよくわかっていなかったのかもしれないし、ショック状態だったのかもしれない。


ただお母さん…お母さん…と繰り返すばかりだった。


そして私はついに尋ねた。


Gary…あの子、死んだの?


すると彼は言った。


うん、お母さん。死んだんだ


その瞬間、私の世界は完全に崩れ落ちた。


あのあと自分が何をしたのか、何を言ったのか、まったく覚えていない。


後から、人々に「建物中に聞こえるほど大きな悲鳴を上げていた」と聞かされた。


でも私の頭の中にはただ一つの思いしかなかった。


――私の娘が、いなくなってしまった。


気づけば、次々と人が私の部屋に集まってきていた。


姪のDionne、友人たち、家族たち。


電話が鳴り、ドアベルが鳴り、人々は食べ物を持ってきて、抱きしめようとした。


でも私は椅子に座ったまま、泣き続けることしかできなかった。


完全にショック状態だった。


そして今でも、あの夜を――そしてその後の日々を――どうやって生き延びたのか、本当にわからない。


ニュースが広まると同時に、あらゆる人々が私のマンションの周りに押し寄せた。


記者たちはロビーに並び、何とか中へ入って質問しようとしていたし、見知らぬ人々まで私の階へ忍び込んで弔意を伝えようとしていた。


建物の外には人だかりができ、警察が出動して群衆を制止しなければならないほどだった。


でも、その時の私はそんなこと何も知らなかった。


ただ泣き、うめき、叫び続けることしかできなかったから。


ただ一人で、娘を失った悲しみに暮れたかった。

Whitney Houstonと彼女の母Cissy Houston
Whitney Houston Cissy Houston

私が最後にNippyに会った時、私は少し彼女に腹を立てていた。


それはクリスマス休暇の頃――亡くなるわずか6週間ほど前のことだった。


Nippyは突然、孫娘のKristinaを連れてニューヨークにやって来た。


彼女は私に街へ来て、一緒に過ごそうと言ったけれど、事前に来ることを知らせてくれていなかったので、私はすでに別の予定を入れていた。


私はニュージャージー州スパータへ行き、友人とクリスマス・ディナーを過ごす約束をしていた。


ずっと前から決めていた予定だったから、今さら断るのは気が引けた。


もちろんNippyには会いたかった。


でも、こちらへ来る時は、もう少し早く知らせてほしい――そう思ったのだ。


それで私はスパータへ行き、一晩過ごした。


すると翌日、Nippyからまた電話がかかってきた。


お願いだからニューヨークに来て、みんなに会って


彼女はニューヨーク・パレス・ホテルに滞在していて、GaryやMichael(Cissyの息子)、その妻たちや子どもたちも集まっていた。


久しぶりの家族団らんになりそうだった。


家族全員が揃うなんて、最近では本当に珍しいことだったので、私は楽しみにしながらマンハッタンへ向かった。


Nippyはちょうど新しい映画『Sparkle』の撮影を終えたばかりで、とても素敵に見えた。


その日は終始機嫌が良く、兄弟たちと笑い合い、冗談を言い合い、子どもたちと遊んでいた。


彼女は昔から兄弟たちと仲が良かった。


そして、笑い合う彼らを見ていると、まるで昔に戻ったような気持ちになった。


ここ数年、私たちは本当に多くのことを経験してきた。


でもその日だけは、何一つ心配事なんてないかのように感じられた。


その日のある時、私がソファに座っていると、Nippyがそっと身を寄せてきて、私の膝に頭を乗せた。


彼女がそんなことをするのは滅多になかった。


でも私は、その瞬間が大好きだった。


私たちはまったく違う性格だったし、どんな母娘にもあるように、長い年月の中で衝突もあった。


でも、Nippyが私の膝に頭を預ける時――そんな瞬間こそが、私たちを深く結びつけてくれる時間だった。


そして私は、そのひとときを心から大切にしていた。


Nippyは翌日アトランタへ戻る予定だった。


こんなにも短い再会で終わってしまうことが、私はたまらなく寂しかった。


私はいつももっと会いに来てと彼女に言っていた。


ここ数年、彼女に会える機会は本当に少なかったからだ。


でも、新しい映画に取り組み、どこか肩の力が抜けたような明るさを取り戻している彼女を見て、これからは変わっていくかもしれない――そう願っていた。


帰る支度をしていた時、Nippyと私はドアのところで立ち話をしていた。


またすぐ戻ってくるわ、お母さん


彼女はそう言った。


「2月にグラミー賞でロサンゼルスへ行かなきゃいけないけど、そのあと会いに来るから」


私の娘は、ニュージャージー州ニューアークで育った、「大きな声を持つ痩せっぽちの少女」から、ずいぶん遠くまで来た。


世界中を旅し、洗練された、力強い女性になっていた。


それでも、私たち母娘の関係には、彼女の中の「子どもらしさ」を引き出す何かが、いつまでも残っていた。


私がNippyを見る時、そこには、ほうきをマイク代わりにして、自宅地下のスタジオでまるでカーネギーホールの舞台に立っているかのように歌っていた小さな女の子がいた。


そして、人から好かれたいと願っていた、どこか不安げな少女の姿も見えていた。


ただ、人々を幸せにしたくて歌っていた少女。


何百万枚ものレコードを売るためでも、世界的スーパースターになるためでもなく――。


けれど彼女はスーパースターになった。


そして、その成功がもたらした重圧は、やがて彼女を押し潰していった。


彼女は本当に多くのものに耐えた。


そして彼女を理解しない人々――本当の彼女を知らない人々から、あまりにも容赦なく批判され続けた。


彼女はよく私にこう言っていた。


お母さん、私はただ歌いたいだけなの


でも、それだけでは決して許されなかった。

様々な問題を抱えていた世界の歌姫Whitney Houston
Whitney Houston

ドラッグの問題、人間関係、そして名声がもたらす落とし穴――Nippyは本当に多くのものを背負ってきた。


それでも、亡くなる数週間前の彼女は、確かに上向きになっているように見えた。


その頃、電話で話すたびに、彼女の声はとても明るく聞こえた。


まるで何年ぶりかに、本当に気持ちが軽くなっているかのようだった。


けれど2月の初め、ロサンゼルスとグラミー賞へ向かう直前に彼女から電話がかかってきた時だけは、様子が違っていた。


彼女らしくない声だった。


その声には、どこか悲しみが滲んでいた。


Nippyは昔から、自分の悩みを私にあまり打ち明けるタイプではなかった。


だから何があったのか、私は正確にはわからなかった。


でも、人には誰にでも浮き沈みがあるものだし、私はそこまで深刻には考えなかった。


ロサンゼルスでは、授賞式や関連イベントで忙しくしているだろうし、滞在中にまた連絡が来ることもないだろう――私はそんなふうに思っていた。


だが、授賞式前日の金曜日、彼女は実際に電話をくれた。


その時の声は、少しだけ元気を取り戻しているように聞こえた。


それでも、何が起きているのかを多く語ることはなかった。


何を話したのか、そのほとんどはもう覚えていない。


でも、電話の最後に彼女が言った言葉だけは、今でもはっきり覚えている。


12月、彼女はグラミーの後に会いに行くと約束していた。


そして、その金曜日に電話を切る前、彼女はもう一度こう言った。


もうすぐ帰るからね、お母さん


約束する


それが、私が彼女の声を聞いた最後だった。

48歳という若さで亡くなったWhitney Houston
Whitney Houston

翌日、Nippyは亡くなった。


そしてその後の日々は、終わりの見えない悲しみと苦痛の中に溶けていった。


娘を失った絶望に、もう生きていけないのではないかと思ったこともあった。


もう二度と、この世界で彼女に会うことも、その声を聞くこともできない――私はどうしても信じることができなかった。


今でも、まだ信じられない。


それでも、私にはひとつだけ救いがあった。


あの恐ろしい日、Garyから電話が来る前、何度も鳴り続けた玄関のベル。


私は、あれは美しい私のNippyだったのだと信じている。


約束を守るために――どんな形であれ、彼女は私に会いに来てくれたのだと。


彼女が言った通りに。

Whitney Houstonと彼女の母Cissy Houston
Whitney Houston Cissy Houston



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