top of page

Jam & Lewisが、PrinceからThe Timeのメンバーを解雇された当時を振り返る。「ビルボードの雑誌を見かけるたびに、必死に隠しました」

  • 執筆者の写真: R&B SOURCE
    R&B SOURCE
  • 13 時間前
  • 読了時間: 6分
PrinceのバンドThe Timeに在籍していたJam & Lewis

Jam & LewisがPrinceのバンドを解雇された理由とは


'80年代当時、[Warner Music]との契約で「サイド・プロジェクト」の権利を得たPrince(プリンス)が、自身のルーツである王道のポップ・ファンクを表現するために結成したバンドThe Time(ザ・タイム)。


Princeは、地元ミネアポリスで自身のライバル・バンドだった「Flyte Tyme」のメンバーJimmy Jam、Terry Lewis、Jellybean Johnsonらを引き抜いてメンバーを構築。


そしてボーカルには、高校時代からの親友であるMorris Dayを起用。

Princeが結成したバンドThe Time
The Time

'81年のデビュー・アルバム『The Time』のクレジットにはメンバーの名前が並んでおり、しかし実際はMorrisのボーカルを除き、ほぼすべての楽器の演奏、作詞作曲、プロデュースをPrinceが1人が担当(Princeは「Jamie Starr」という偽名を使用)。


The Time - The Time

そんなPrince主導の注目プロジェクトの最中、Jam & Lewisはある「ルール違反」を犯してしまい、その結果、Prince本人から直接「解雇」を言い渡されることに。


そのルール違反とは、The Timeの活動と並行して、他アーティストのプロデュースを行ったこと。


当時の状況を、Jimmyは「Red Bull Music Academy」のインタビューで次のように回想。

「あれはツアー中のことでした。'82年から'83年にかけての時期で、ニューヨークで4日間のオフがあったんです。そこで僕らはClarence Avantに会いました。彼は、The S.O.S. Bandが所属していた[Tabu Records]のオーナーでした。
[Tabu Records]の創始者Clarence Avant
Clarence Avant
まぁ実を言うと、それが僕らがThe Timeをクビになった原因なんですよ。それで僕らはThe S.O.S. Bandをプロデュースするためにアトランタへ向かいました。僕らは『これって最高だよね。4日もオフがあるんだよ。3日間で仕事を片付けて、次のショーの朝に飛行機に乗って、次の開催地であるサンアントニオに行けばいい。大したことないよ』なんて考えていました。ところが、出発する日の朝に雪が降っていました。でも雪と言っても、僕らはミネアポリス出身なので、雪の怖さは知っています。当時のアトランタの雪は、僕らに言わせれば『うっすら積もった』程度でした。ほうきを持ってきて、歩道の雪をササッと払えば済むような、どうってことない量でした。それなのに、空港が完全に閉鎖されてしまったんです。アトランタの空港はターミナルが4つもあって、もうごった返していました。僕らはとにかくサンアントニオに乗り継いで行けるフライトなら、何でもいいから乗ろうとしました。でも空港全体が完全にシャットダウンしてしまって、ある時点で『これは今夜のライブに間に合わない』と察しました。結局、The Timeはその夜、僕ら抜きでライブを行いました。これがまた面白いんですが、その夜Princeはステージの裏側から演奏したんですよ。もちろん彼はすべてのパートを知っているし、レコーディングしたのも彼ですからね。だから彼が弾きました。そしてTerryの弟のJeromeが、Terryの立ち位置に立って、彼のフリをしました。それでライブは成立してしまったんです。僕らがようやく現地に到着したとき、罰金を科されました。『お前らは3,000ドルの罰金だ』って言われましたが、笑ってしまったんです。だって僕らの給料は週にたった150ドルだったんですから。『150ドルしか稼いでないのに、一体どこから3,000ドルも引くんだろう?』っていう感じでしたよ。そしてこれがきっかけで、隠れて行っていたプロデュース業がバレそうになりました。でも誰もプロデュースの件を確信していなかったから、そのときはまだ険悪な関係ではありませんでした。周りは『アトランタに女に会いに行って、遅刻したんだろ。自業自得だ』くらいに思っていたみたいです。だからその場はそれで収まりました。ところがその後、何が起きたかというと、ビルボード誌が発売されて、僕らがThe S.O.S. Bandと一緒に写っている写真が載ってしまったんです。当時はインターネットなんてですからね、ネットで検索するなんてことはできな買ったので、雑誌の現物を見るしかありませんでした。だから私たちは、ビルボードの雑誌を見かけるたびに、必死に隠しました。
'80年代を代表するグループThe S.O.S. Band
The S.O.S. Band
Princeが『俺のビルボードはどこだ?』って探してるときも、『Prince、知らないよ!』なんて言いながら誤魔化しました。でも、あちこちに大量にあるんです。マネージャーも持っているし、ブッキング・エージェントも持ってる。私たちはそれらを全部隠しました。しかし当然、最終的に彼はその中の1冊で僕らの写真を見つけて、何が起きているかすべてを察しました。その年の夏、私たちはThe Timeの仕事かレコーディングがあると思って、スタジオに呼び出された。私たちとしては、自分たちが手がけたThe S.O.S. Bandのレコードのミキシングをするつもりでした。部屋に入ると、私、Terry、Jessie、Prince、そしてMorrisがいました。そしてPrinceはただシンプルに、こう言いました。『お前たちには、外部のアーティストをプロデュースするなと言ったはずだ。なのにやった。だからクビだ』
Jam & Lewisの2人をクビにしPrince
Prince

ルールを破ったからこそ生まれたひとつの名曲


PrinceにとってThe Timeは、自身の音楽観を表現するためのプロジェクト。


メンバーが独自の活動を通じて、サウンドの秘密やエネルギーを外部へ持ち出すことを、極端に嫌っていたため、彼はThe Time結成当初から、メンバーに対して「外部アーティストをプロデュースしてはならない」と厳しく命じていたという。


もちろん、Jam & Lewisの2人もそのルールを承知の上で、The S.O.S. Bandのプロデュースを進行。


その理由は、インタビューでも語られているように、当時はインターネットがなく、「Princeに知られることはないだろう」と高を括っていたことがひとつ。


もうひとつは、The Timeの待遇。


当時、ヒットを飛ばしていたにもかかわらず、メンバーの週給はわずか150ドル。


外部プロデュースの仕事を引き受ければ、それをはるかに上回る収入を得ることができたことから、生活のため、そしてプロデューサーとして飛躍するために、Jam & Lewisはそのリスクを承知の上で挑戦する道を選んだとのこと。


続けて、Jimmyは次のように当時を回想。

「私は「OK」と言って、立ち上がって部屋を出ました。Terryは部屋に残って、少しの間Princeを説得しようと話し合っていました。その後、僕らはスタジオの外でがっかりして、そのへんをウロウロしていました。『なぁ、これからどうする?』って話にり、『まぁ、まだ通りを上がったところにレコーディング・セッションの予約があるじゃないか。そこへ行って、どうなってるか見てみよう』ということになりました。それで、僕らは[Larrabee Sound]というスタジオに向かいました。エンジニアはSteve Hodgeでした。ちなみに、私たちが[Larrabee Sound]とSteveの名前を知っていた唯一の理由は、レコードのライナーノーツを読んでいたからです。私たちが子供の頃、ライナーノーツを読むのが好きで、Steveや[Larrabee Sound]の仕事が気に入っていました。何か惹かれるものがあって、ただライナーノーツの記憶だけでそのスタジオを選んだんです。だからスタジオに入った時点では、Steveに会ったことさえなかったと思います。それで僕らが中に入ると、彼が『君たち、どうしたんだい? 暗い顔をして』と聞いてきました。僕らは『さっきThe Timeをクビになってしまった』と伝えました。すると彼は『本当に?』」と言ってから、こう続けました。『いや、でも君たちが心配する必要は一切ないと思うよ。だって、君たちがここに持ってきたこのレコード、これは大ヒット間違いなしだからね』私たちは『本当に?』って感じでしたよ。彼はそれまでに十分な量のミキシングをしてきたから分かっていたんです。そして彼の言う通り、その曲は大ヒットしました。'Just Be Good To Me'です」

The S.O.S. Band - Just Be Good To Me




 関連記事 

Jam & Lewisが「最高中の最高」と称えたシンガーとは


LATEST

KEYWORD

bottom of page