なぜJanet Jacksonは『Control』で覚醒できたのか。Jam & Lewisが語る名盤誕生の舞台裏。「それまで誰一人として、彼女に『何を歌いたいのか』を尋ねたことがなかったんです」
- R&B SOURCE

- 7月11日
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Janet Jacksonの才能を覚醒させた歴史的名盤『Control』
'86年、音楽史に残る名盤『Control』が誕生。
それは19歳のJanet Jacksonが、自らの人生とキャリアの主導権を取り戻すことを高らかに宣言した作品。
それまでの彼女は、偉大な兄MichaelをはじめとするJackson Familyの末娘として、父Josephの厳格なマネジメントのもと活動。
しかし、過去2枚のアルバムは大きな成功には至らず、アーティストとして主体的に作品づくりへ関わる機会も、まだ限られていたという。
転機となったのは、父のもとを離れ、[A&M Records]を通じてプロデューサー・デュオJam & Lewisとのアルバム制作が決まり、ミネアポリスへ渡ったこと。

Janetの才能を覚醒させた名盤『Control』はどのようにして誕生したのか。
Jimmy Jamは当時の状況を「Red Bull Music Academy」のインタビューで次のように回想。
「興味深いことに、私たちは以前からJanetに会ったことがありました。実際、彼女はThe Timeのライブにも来ていて、The Timeの大ファンでした。もともとの話では、私たちは[A&M Records]所属のアーティストをプロデュースする予定で、その候補の一人が、かつてAtlantic Starrに在籍していたSharon Bryantだったんです。私たちはAtlantic Starrの大ファンだったから、『ぜひ彼女の作品を手がけたい』と思っていました。

後になって、『Control』はもともとSharonのために作られるはずだったという噂が広まりましたが、それはまったくの事実無根です。もちろん、もしSharonをプロデュースしていたなら、まったく違う作品になっていたでしょう。私たちはいつも、そのアーティストに合った音楽を作ることを大切にしていましたからね。[A&M Records]から所属アーティストのリストを渡されて、当時A&Rを務めていたJohn McClainが『この中で誰をプロデュースしたい?』と聞いてきました。私たちは『Janetをやりたい』と答えたんです。すると彼は、『3〜4曲くらい?』と聞いてきたので、『いや、アルバム全部をやりたい』と答えたんです。彼は『本当に?いいね』と驚いていましたよ。
![[A&M Records]のA&Rを担当していたJohn McClain](https://static.wixstatic.com/media/8efdae_8b9f5d84048444a697c37b7cbe0e3da7~mv2.jpg/v1/fill/w_980,h_490,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/8efdae_8b9f5d84048444a697c37b7cbe0e3da7~mv2.jpg)
当時は、まだJanetに大きな注目が集まっていたわけではなかったですからね。でも私たちは、彼女には何か特別なものを感じていました。まず才能があったし、素晴らしい歌声も持っていた。また、彼女には魅力的なキャラクターや姿勢があったのに、それがこれまでの作品ではまったく引き出されていないと思っていました。プロデューサー兼ソングライターとして、そこを表現できると確信したんです。
Janet Jackson - Janet Jackson (1982)
Janetのキャリア初期は、父Josephの厳格なマネジメントのもとで築かれることに。
Jackson 5を世界的な成功へ導いた彼は、'82年に当時まだ15歳だったJanetを[A&M Records]と契約させ、デビュー・アルバム『Janet Jackson』と、2作目『Dream Street』の制作を主導。
しかし当時のJanetは、歌手というよりテレビ女優として知られ、音楽活動には決して前向きではなかったという。
のちに彼女は「The Boston Globe」のインタビューで、当時の本音を次のように発言。
「本当は最初のアルバムを作りたくなかった。大学へ進学したかったの。でも父のためにやった」
そんな背景もあり、当時はプロデューサーたちとの意見の食い違いも少なくなかったという。
結果として『Janet Jackson』『Dream Street』の2作は、いずれも期待されたほどの成功には至らず。
Janet Jackson ('82)
全米アルバム・チャート|63位
Dream Street ('84)
全米アルバム・チャート|147位
Janet Jackson - Dream Street (1984)
さらに'84年には、家族の反対を押し切ってDeBarge一家のJames DeBargeと結婚するも、翌'85年には婚姻無効に。
キャリアも私生活も大きな転機を迎えるなか、Janetは父Josephをマネージャーから解任し、[A&M Records]の幹部John McClainを新たなマネージャーに起用。
そしてJohnの紹介によって、Jam & Lewisとの運命的な再会を果たしたという流れ。
Jimmyは続けて次のように回想。
最初にJanetとお父さん、それに関係者を交えて打ち合わせをしました。その席で彼らは、私たちが直前に手がけた作品、たしかPatti Austinの'The Heat Of Heat'だったと思いますが、それを流したんです。これはQuincy Jonesのために制作した、ストリングスをふんだんに使った壮大な楽曲でした。それを聴いたJanetは、すっかり不安になってしまって、『私、自分のアルバムがこんなサウンドになるのはちょっと…』と言ったんです。私たちは慌てて、『いやいや、違うよ。なんでこの曲を聴かせたのか分からないけど、私たちが作ろうとしている作品とはまったく関係ないから』と説明しました。
Patti Austin - The Heat Of Heat
するとお父さんが、『君たちはミネアポリス出身なんだって?』と聞いてきたので『そうです』と答えました。そして『Princeもミネアポリス出身だよな。うちの娘をPrinceみたいなサウンドにはしないでくれ』と言ってきたので、『分かりました、Jacksonさん。お任せください』と伝えました。

なお、Jam & Lewisとの最初のミーティングが行われた時点では、Janetのマネージメントはまだ父Josephが担当。
その後、Janetは父Josephをマネージャーから解任し、アーティストとして新たな一歩を踏み出すことに。
Janetは、当時の心境を次のようにコメント。
「私はただ家を出たかった。父の支配から抜け出したかったの。それは私にとって、これまでで最もつらい決断のひとつだった。『もう一緒には仕事をしたくない』と父に伝えることは本当に難しかった」

一方、Josephは自分が築き上げてきた娘のキャリアをJohnが横取りしようとしていると受け止め、強く反発したという。
「私は家族のために懸命に働いてきた。問題なのは、その後から現れて、私が築いたものを奪おうとする連中がいることだ。Janetの成功への道筋は、すでに私が築いていた。今になって関わる者は、ただその恩恵を受けるだけだ」
これに対し、Johnは次のように反論したという。
「私はJanetを父親から奪おうとしているわけでも、彼女を利用しようとしているわけでもない」
また、Johnは「People」のインタビューで、当時の状況を次のように回想。
「最終的にJosephはいいと言ったが、うまくいかなかったら平手打ちを食らわせると言った」
Jimmyは続けて次のように回想。
そうしてJanetはミネアポリスへやって来たんです。ボディガードも付けず、付き添いは友人だけ。私たちは彼女のために小さなシボレー・ブレイザーをレンタルしました。GPSなんてまだない時代だったので、地図を片手にホテルやスタジオへの道を自分で探さなければならなかったんです。本当に石器時代みたいな頃でしたよ(笑)。でも最初の4〜5日間は、スタジオにはまったく入らなかったんです。映画を観たり、クラブへ行ったり、湖へ出かけたり、とにかく一緒に過ごして、お互いを知る時間にしました。
厳格なJosephの元で育ったJanetは、ミネアポリスを訪れるまでは、ボディガードとリムジンを伴わずに夜の街を散策することはほとんどなかったという。
そして彼らはバーへ出向くことになり、その時の状況をJimmyは「People」のインタビューで次のようにコメント。
「Janetは、それまで気軽にバーへ遊びに行ったことがありませんでした。ある日、バーで何人かの男性に声をかけられた後、彼女は私のところへ来て、『あの人、しつこく絡んできたのに、どうして助けてくれなかったの?』と言ったんです。私は『自分でちゃんと対処していたように見えたからだよ』と答えました。つまり、それまでの彼女には、自分一人で物事に対処する機会がほとんどなかったんです」

5日ほど経った頃、Janetが『ところで、私たちっていつ仕事を始めるの?』と聞いてきました。私たちは『もう始まってるよ』と答えて、'Control'の歌詞を彼女に見せました。彼女は歌詞を読み始めると、『待って、これって私たちがずっと話してきたことじゃない』と驚いたんです。私たちは『その通りだよ』と答えました。すると彼女は、『じゃあ、私たちが話したことを、そのまま曲にしていくってこと?』と聞いてきたので、『そういうことだよ』と伝えたんです。その瞬間、彼女の頭の中で何かがパッとつながったようでした。それまで誰一人として、彼女に『何を書きたいのか』『何を歌いたいのか』を尋ねたことがなかったんです。そもそも曲作りに参加させてもらったこともなく、ただ出来上がった曲を渡されて歌うだけでした。でも私たちは、『いや、それじゃダメだ。君自身がこの制作プロセスの一員にならなきゃ』と伝えたんです。こうして『Control』というアルバム制作は始まりました。そして結果的に、この作品はJanetだけでなく、私たち全員のキャリアを大きく変える、まさに転機となる1枚になったんです」
Janet Jackson - Control
一方のJanetは、「uDiscover Music」のインタビューで次のようにコメント。
「Jimmyと私はミネアポリスの街をドライブしながら、私の人生や、それまで経験してきたことについてたくさん話したの。2人は、私が何でも打ち明けられるくらい心を開き、安心できる雰囲気を作ってくれたわ。私の家族は他人を簡単には信用しなかったので、とても守られた環境で育ち、すごく内向的な性格だったの。でも、JimmyとTerryは、そんな私が心を開き、自分自身を表現できるようにしてくれたの」

そしてTerry Lewisは、「Rolling Stone」のインタビューでレコーディング時の様子を次のようにコメント。
「レコーディングの時、彼女はみんなが知っている、あの高い声で歌い始めたんです。そこで私たちは『Janet、この曲を1オクターブ低く歌ってみたらどうかな?』と提案しました。でも彼女は『それはちょっと変じゃない?』と戸惑っていました。翌日、彼女がスタジオに来たので、その録音を聴かせたんです。すると、彼女の表情がパッと変わりました。その顔は、プロデューサーにとってアーティストからもらえる最高のリアクションでしたよ。驚きと満足が入り混じった表情でした。'Nasty'は『Control』制作の比較的初期に作った曲ですが、あの瞬間が彼女の不安や緊張を一気に取り払ってくれたんです。彼女は『私のことをちゃんと支えてくれている』と感じてくれました。そこから私たちも勢いづいていったんですよ」






































