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J. Holidayのピークは、なぜ短かったのか?

執筆者の写真: R&B SOURCE
R&B SOURCE
8 時間前
読了時間: 6分

更新日:2 分前

「Bed」のヒットで知られるJ. Holiday

J. Holidayのピークは、なぜ短かったのか?


2007年リリースのデビュー・アルバム『Back Of My Lac'』が、全米アルバム・チャート最高5位、そして全米R&Bアルバム・チャートは1位を獲得。


さらに、このアルバムからのシングル「Bed」が全米シングル・チャートで最高5位を記録する大ヒットとなり、デビュー直後からR&Bスターの座に上り詰めたJ. Holiday。


J. Holiday - Bed

続く2009年のセカンド・アルバム『Round 2』も、全米アルバム・チャートで最高4位、全米R&Bアルバム・チャートで2位を獲得。


2作連続で全米アルバム・チャートのトップ5入りを果たすなど、その勢いは衰えていないかのように見えたものの、『Round 2』のリリースを境に、J. Holidayのキャリアは次第に失速。


J. Holiday - Round 2

その後はデビュー当初のようなヒットに恵まれず、次第に表舞台から姿を消していくことに。


一体、彼のキャリアに何が起こったのか。


J. Holidayは、ポッドキャスト「Eating While Broke」で当時の状況を次のようにコメント。

「俺はただ歌うだけのアーティストじゃない。業界のことも理解しているんだ。レコード会社の人たちはそれが気に入らなかった。俺のそういうところが嫌だったんだよ。彼らは、頭のいいアーティストが好きじゃないんだよ。そして彼らは、俺をうまく言いくるめることができなかったんだよ。俺を変えることも、自分たちの思いどおりに従わせることもできなかったんだ。俺が不快だと感じることは、不快なんだよ。そういうことさ。本当に些細なことだったんだ。アーティストのことを本当に大切に思っているなら、もっと簡単に解決できたはずなんだよ。でも、ちょっとしたことをわざわざ大問題にするような対応をされると、今度は俺も譲れなくなる。だって、俺が『これは嫌だ』『居心地が悪い』と伝えているのに、それを尊重してくれていないと感じるからね」

J. Holidayによると、レコード会社とは服装などをめぐって意見の食い違いがあったという。


当時の状況について、彼は自身の生い立ちにも触れながら、次のように発言。

「俺は教会で育ったんだ。教会に行くときって、きちんとした服装をしなきゃいけないだろ?母はそういうことには厳しい親だったんだ。俺が17歳くらいになるまではね。その頃から、以前ほど厳しく言われなくなったけど、それまではずっと教会にふさわしい服装をしてきたんだよ。だから、R&Bを歌っているという理由で、レコード会社から『こういう服装をしろ』と言われても、俺はそういう格好をしたくなかったんだ。少なくとも、その当時はね。もしかしたら、いつか気が変わるかもしれない。でも、今の俺に、そういう服装をしなきゃいけないなんて言わないでほしかった。だって、そんな格好は人生の中でずっとしてきたんだから。自分が快適でいられるように、音楽活動をしている部分もあるんだから。わかるだろ?本当に些細なことなんだよ。『もう、そのことについては放っておいてくれ』っていう感じだったんだよ。レコード会社の人たちは、俺にセックス・シンボルのような存在になってほしかったのかもしれない。もちろん、そういう見せ方が求められる場面もあるよ。でも、毎日そんな格好で過ごしているわけじゃない。いつもボタンを大きく開けた服ばかり着ているわけにはいかないだろ?(笑) もちろん、どういう場面なのかは理解しているよ。そういう場では、状況にふさわしい振る舞いができるんだ。母はいつも、『人の後をついていくんじゃなくて、自分がリーダーになりなさい』と教えてくれたんだ。子どもの頃から、そういう教えを頭に叩き込まれて育つと、やっぱり自分の中に根づくんだよね。だから俺にとっては、『右に行け』とか『左に行け』とか、他人から一方的に指図されるのは違うんだよ。母自身が、俺にそうする必要はないと教えてくれたんだからね。ただ、もし相手が『左に進むことにも、こういうメリットがあるんだよ』ときちんと説明してくれて、俺も納得できる形で折り合いをつけられるなら、それは別の話なんだ。自分も納得できる妥協点を見つけられるなら、問題はない。でも、レコード会社はアーティストと妥協点を探ろうとしないんだよ。彼らにしてみれば、『俺たちの言うとおりにしろ。業界の仕組みは、アーティストより俺たちのほうがよくわかっているんだから』っていう感じかな。彼らは自分たちが正しいやり方を知っていると思っているんだ。でも、10回中9回は、アーティストを自由に成長させるんじゃなくて、すでに成功した何かを再現しようとしているだけなんだよ」
2000年代を代表する男性R&BシンガーJ. Holiday
J. Holiday

J. Holidayが所属していた[Capitol Records]との間に、いつ頃から問題が生じていたのかは定かではないものの、本人の発言を振り返ると、デビュー作『Back Of My Lac'』のリリース後、セカンド・アルバムの制作から発売にかけて、レーベルとの間にさまざまな問題が生じていたと推測。


記述の通り、セカンド・アルバム『Round 2』は、全米アルバム・チャートで最高4位を記録した大ヒット・アルバム。


しかし、その制作の裏側では、レーベルがJ. Holidayにレコーディング予算を割り当てないという問題があったという。


そこで彼は、自宅でアルバムを完成させた上で、最終的にレーベルから予算を支払わせたとのこと。


J. Holidayは、「YouKnowIGotSoul.com」のインタビューで、当時の状況を次のように回想。

「俺のマネージャーだったDarius Jonesは、[Capitol Records]で俺の最初のA&Rを務めていたんだ。次のアルバムを作る段階になったとき、俺はレーベルにこう伝えた。『俺を自由にしてくれるか。それとも、やるべきことをきちんとやるか。どちらかにしてくれ』とね。するとDariusが、レーベルの幹部たちにこう言ったんだ。『J. Holidayを辞めさせるなら、俺も辞める』ってね。ちなみに彼は、[Capitol Records]に来るずっと前から音楽業界で仕事をしていた人なんだ。だから、その言葉を聞いたときは、本当に大きな意味があった。大手レコード会社は何をすべきかわかっているのか?もちろん、わかっているさ。結局、ものを言うのは金なんだよ。アーティストを売り出すのに、難しい方法なんてない。問題は、その成功がどれだけ長続きするかだ。そこは誰にもわからないけどね。でも、レーベルが資金を投入し、後押しをして、マーケティングを展開すれば、アーティストをブレイクさせること自体は簡単なんだ。じゃあ、俺のようなアーティストを相手にしたときも、レーベルは何をすべきかわかっているのか?俺はこれまでに、4人か5人のレーベル社長が交代するのを経験してきたんだ。今では各部門の責任者たちも入れ替わっているけれど、彼らは『Back Of My Lac』や『Round 2』には何の関わりもなかった人たちだ。俺はセカンド・アルバムを、全部自分ひとりで作った。レコーディングも自宅でやったんだ。レーベルには、レコーディング予算を俺に支払ってもらう必要があった。なぜなら、その予算を支払わない限り、俺はアルバムを渡さないつもりだったからね。レーベルは、そういう俺のやり方が気に入らなかったんだ。でも、Dariusは『それが正しいやり方だ』と言ってくれた。俺はアルバムをそのままレーベルに渡すこともできた。でも、アルバムを制作するための予算は、本来どのアルバムにも用意されているものだろう?それなのに、俺にはその予算が割り当てられなかった。だから、自宅でアルバムを完成させたんだ。そうやって生まれたのが、'Forever Ain’t Enough'や、Tankとの'Fly'、そしてほかの楽曲だったんだよ」

しかし、このアルバムからシングルカットされたのは「It's Yours」の1曲のみで、この曲は全米R&Bシングル・チャート最高25位を記録したものの、全米シングル・チャートはランクインならず。


つまりJ. Holidayは、母親から教わった「リーダーになれ」という信念のもと、自分の権利や主張を貫いた一方、そうした姿勢は[Capitol Records]との摩擦を生み、キャリアにも影響した可能性があったと言えそう。


J. Holiday - It's Yours





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