Teddy Rileyが、Bobby Brownのアルバム『Bobby』を振り返る。「'That's The Way Love Is'はリード・シングルにすべきだったんだ」


アルバム『Bobby』への本音を語ったTeddy Riley
'88年リリースのセカンド・アルバム『Don' Be Cruel』を大成功させ、その4年後に発表されたBobby Brownのサード・アルバム『Bobby』
このアルバムは、「Humpin' Around (Prelude)」を含む全14トラックが収録され、そのうち通常の楽曲は13曲。
この13曲のうち、Teddy Rileyは半数以上にあたる7曲のプロデュースを担当。
その7曲のうち4曲は、Teddy単独プロデュースによるもの。
・Two Can Play That Game
・Get Away
・One More Night
・Something in Common
そして以下の3曲では、共同プロデューサーとしてTeddyが参加。
・That's The Way Love Is
・Til the End of Time
・Lovin' You Down
このような状況から、Teddyが中心的なプロデューサーのひとりとして制作に携わった『Bobby』
しかし、アルバムからのリード・シングルには、Babyface、L.A. Reid、Daryl Simmonsが手がけた「Humpin' Around」が選ばれることに。
Bobby Brown - Humpin' Around
Teddyは、自身が手がけた楽曲ではなく、別のプロデューサーによる「Humpin' Around」がリード・シングルに選ばれたことに不満を抱いていたという。
当時の心境について、Teddyは「Underground Soul」のインタビューで、次のように回想。
「Bobbyのアルバムについて言えば、最初のシングルでまた俺はひどい目に遭わされたんだ。でもそれでいいんだ。すべての出来事には理由があるからね。俺としては、'Getaway'を出すか、あるいは'One More Night'みたいなスムースな曲、もしくは'That's The Way Love Is'を出してほしかった。分かるだろ?'That's The Way Love Is'はリード・シングルにすべきだったんだ。'Humpin' Around'を出したのは、俺には意味が分からなかった。あれは、その時に権限を持っていたA&Rたちが、特定のプロデューサーをひいきしていた結果なんだ」
Bobby Brown - That's The Way Love Is
Teddyが語った「また俺はひどい目に遭わされた」という言葉、が何を意味するのかを直接説明した資料は確認できないものの、おそらくその背景のひとつとして考えられるのが、前作『Don't Be Cruel』に収録された「My Prerogative」をめぐる出来事。
Teddyは、当時のマネージメントとの関係から、「My Prerogative」のプロデュースに対する報酬を受け取っていないと、'90年の「Los Angeles Times」のインタビューで主張。
「俺はあの曲で、一銭ももらっていないんだ。何もだよ」
当時の「Los Angeles Times」は、TeddyがMichael Jacksonの『Dangerous』の制作に携わっていたため、『Bobby』の完成が遅れたことにも触れており、Teddy自身もこの件に関して次のように言及。
「Michaelがいなければ、Bobbyのアルバムは前年に出ていた」
つまりTeddyにとって『Bobby』は、自身が大きく関わりながらも、完成までに時間を要したアルバム。
そして、いざリード・シングルとして選ばれたのは、自身がプロデュースした楽曲ではなく、Babyface、L.A. Reid、Daryl Simmonsによる「Humpin' Around」
「また俺はひどい目に遭わされた」という言葉の真意が、「My Prerogative」の件を直接指していると断定することはできないものの、過去に自分の仕事に対する報酬を受け取れなかった経験を持つTeddyが、今度は自分が大きく関わったアルバムで、自ら推していた「That's The Way Love Is」などではなく、別のプロデューサーによる楽曲がリード・シングルに選ばれたことに対し、「また自分の仕事が、自分の望む形で評価されなかった」と感じたとしても、致し方ない話。






































