'87年にリリースが計画されていたRalph Tresvantのソロ・アルバム『Living In A Dream』。なぜ、このアルバムは当時リリースされなかったのか。
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'87年にリリースが計画されていたRalph Tresvantのソロ・アルバム
'80年代前半、米マサチューセッツ州ボストンから登場したNew Editionは、Jackson 5の再来として世界中を熱狂。
その中心にいたのが、甘くシルキーなハイトーンボイスでグループの象徴だったRalph Tresvant。

メンバーのBobby Brownが'85年にいち早くグループを脱退(事実上の解雇)、その後ソロ活動を始めると、メディアやファンの関心は「本命であるRalphはいつソロになるのか」に集中することに。
そんな中、'87年にRalphはソロ・アルバム『Living In A Dream』の制作を開始。
当時18歳だったRalphは、義理の親戚にあたるプロデューサーのDwayne Omarrと共にスタジオにこもり、共同で楽曲制作に没頭。
当時のファン雑誌『Fresh! Magazine』では、次のような見出しで大々的に紹介され、アルバムは完成間近、そしてリリースは秒読み段階だったという。
「2人の制作会社はSilver and Gold Productions。Ralphがシルバーで、Dwayneがゴールドだ!」
しかし、このアルバムは当時発売されることはなく、プロジェクトは頓挫することに。
その背景にあったのは、Ralphの強い責任感と、New Editionへの揺るぎない忠誠心。
'87年当時、New EditionはBobbyの脱退に加え、代わりの実力派シンガーであるJohnny Gillを迎えたばかりの激動期。
グループとしての今後を占う重要なアルバム『Heart Break』('88年発売)のレコーディングが控えており、プロデューサーには当時のヒットメーカーJam & Lewisを迎えることが決定。
Ralph自身、ソロ活動への憧れはあったものの、グループの中心的存在だった彼にとって、自分だけが先にソロへ進むという選択は簡単には下すことができず、その結果、『Living In A Dream』のリリースはいったん見送られ、彼はNew Editionの制作に専念。
そしてNew Editionの『Heart Break』はマルチ・プラチナムを記録する大傑作となり、彼の選択はグループを救う形に。
New Edition - Heart Break
Bobby Brownに先を越されたRalphの世界観
グループの危機を救った後、Ralphが再びソロ・プロジェクトを動かそうとしたとき、音楽シーンは劇的に変化。
その中心にいたのが、かつての同胞Bobby Brown。
'88年、Bobbyはアルバム『Don't Be Cruel』をリリース。
Teddy Rileyらが手がけた激しいビートとR&Bを融合させた「ニュー・ジャック・スウィング」のサウンド、そしてストリート感溢れるバッドボーイ風のビジュアルは、世界的な社会現象に。
Bobby Brown - Don't Be Cruel
これに最も衝撃を受けたのが、他でもないRalph。
というのも、'87年に制作されていた『Living In A Dream』もまた、ファンク色の強いサウンドやストリートの空気感を取り入れた作品として構想されており、Bobbyが打ち出した方向性と少なからず重なる部分があったのだという。
この作品について、Ralphは「YouKnowIGotSoul.com」のインタビューで次のようにコメント。
「あれは俺にとって、世に出ることのなかった最高のアルバムなんだ。もしあのアルバムが制作していた当時にリリースされていたら、俺の人生の方向性は完全に変わっていたと思う。ソングライターとしても、プロデューサーとしても、そしてアーティストとしても、世間が俺を見る目はきっと違っていただろうね。あの頃の俺は18歳か19歳で、そのアルバムの曲を書いていた。でも結局、世に出ることはなかった。あのアルバムに入っていた曲は、自分の人生や、シンガーやアーティストとしての自分自身をどう感じていたのかを、そのまま映し出したような作品だった。そんな音楽を世界に聴いてもらう機会は、一度もなかったんだ。その代わりに、俺は『Heart Break』の制作に向かった。あのアルバムを世に出せなかったことは、今でも本当に残念に思っている。正直、今となってはマスター・テープがどこにあるのかも分からない。手元にはカセットすら残っていないんだ。当時は毎日のように聴いていたのにね。あの頃、アルバムを聴いた周りのみんなは、『うわ、すごい!』って本当に驚いていた。レコード会社の人たちも同じだった。でも結局、その音楽を世界と分かち合うことはできなかった。今でも見つけられるものなら見つけて、記念作品のような形でもいいから世に出したいと思っているよ」
もし、'87年に『Living In A Dream』が予定通りリリースされていたら、Ralphのキャリア、そしてニュー・ジャック・スウィングの歴史は、現在とは異なる形で語られていたのかもしれず。
しかし、Bobbyが『Don't Be Cruel』で世界的な成功を収めた以上、同じ方向性の作品をそのまま世に送り出すことは難しく、Ralphは完成していた『Living In A Dream』の楽曲やコンセプトを白紙に戻し、ゼロから新たなソロ・アルバムを作り直すという苦渋の決断を下すことに。
そして'90年11月、Ralphはセルフ・タイトルのアルバム『Ralph Tresvant』で待望のソロ・デビュー。
この頃には、Bobbyだけでなく、ほかのメンバーもソロや別プロジェクトで大きな成功を収めており、Ralphは「最後のソロ・デビュー」として、凄まじいプレッシャーの中でリリース。
大ヒット・プロデューサー陣を迎えたこのアルバムからは、Jam & Lewisによる極上のメロウR&B「Sensitivity」が全米R&Bチャート1位を獲得。
アルバムも見事にプラチナ・ディスクを獲得し、彼はソロとしても超一流であることを証明。
当時の心境を、Ralphは次のように回想。
「他のメンバーはみんなすでにソロや別プロジェクトでデビューしていて、大ヒットを飛ばしていた。Bobbyはチャートの頂点にいて、Johnnyもトップ、Bell Biv DeVoeもトップ。みんながシーンを席巻していた。だから、俺だけがデビューして失敗するなんて、絶対に嫌だった。俺はNew Editionのリード・シンガーなんだ。本来なら真っ先にソロデビューしていてもおかしくない立場だった。でも、実際には最後になってしまった。他のみんなのアルバムもキャリアも絶好調だったから、『自分だけは失敗したくない』というプレッシャーは本当に凄まじかった。そんな俺を支えてくれたのが、Jimmy JamとTerry Lewisだった。彼らをはじめ、一緒に仕事をした全員が、俺のためにクラシックなアルバムを作り上げてくれたんだ。彼らは、何が時代に求められていて、何がヒットするのかを熟知していた。だから俺は、シンガーとして自分の役割を全力で果たすことに集中することができた。そして何より忘れられないのは、'Sensitivity'が全米R&Bチャート1位でデビューし、記録を塗り替えたときの安堵感だ。『やっと自分もここまで来た。本当に現実になったんだ』と思えた瞬間だった」





































