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Babyface、L.A. Reid、Daryl Simmonsの原点。彼らは豪華なスタジオではなく、小さなアパートにアーティストたちを招き、自ら書いた楽曲を聴かせていた。

  • 執筆者の写真: R&B SOURCE
    R&B SOURCE
  • 5月21日
  • 読了時間: 6分
'80年代〜'90年代にヒット曲を量産したBabyface、L.A. Reid、Daryl Simmonsの3人

彼らが無名時代に行っていた楽曲提供方法


・Boyz Ⅱ Men - End of the Road

・The Whispers - Rock Steady

・Johnny Gill - My My My

・Bobby Brown - Every Little Step

・TLC - Baby-Baby-Baby

・Karyn White - Superwoman


これら歴史的名曲を数多く手がけてきた、Babyface(ベイビーフェイス)、L.A. Reid(L.A. リード)、Daryl Simmons(ダリル・シモンズ)の3人。


彼らは無名時代からチームを組み、互いの才能を引き出す絶妙な連携で、'80年〜'90年代のR&Bシーンを席巻。


そんな彼らの原点とも言える「楽曲制作の現場」について、Darylは「Songwriter Universe」のインタビューで次のように回想。

「実は僕とKenny(Babyface)は、インディアナポリスで同じ中学校に通っていたんだ。彼と出会ったのは僕が8年生の時で、当時、僕は彼の兄Michaelがギターを弾くバンドのメンバーだった。そこで『Kennyってすごく歌が上手くて、自分のマイクを持ってるらしい』という話を聞いたんだよ。当時、自分専用の機材を持っている人なんて本当に珍しかった。マイクやPAを持っているだけで大物みたいな存在だったよ。そしてある日、僕たちは外でリハーサルをしていて、僕がドラムを叩いているとKennyが通りかかったんだ。僕は『君のことは色々聞いてるよ』と声をかけると、彼が『君、僕たちのバンドに入らない?』と言ってきた。僕はすぐにバンドを抜けて、Kennyのバンドに入ったよ。初日から意気投合して、僕たちはすぐ親友になった。そして一緒にちょっと青臭い曲を書き始めたんだよ。彼はアコースティック・ギターを持っていて、彼の家に行って曲を書いたり、僕の家で書いたりした。そうやって友情が生まれ、同時に僕たちは『音楽への愛情』を共有していることに気づいたんだ。それから僕たちはずっと一緒にバンドをやって、インディアナポリスではManchildという地元で人気のクラブ・バンドに所属していた。アルバムを数枚出したんだけど、でも結果は出なかった。

Manchild - One Tender Moment

ある時、Kennyが『もう先が見えない』と言ってバンドを辞めてしまったんだ。僕は本当にショックだったよ。彼は親友だったし、『これから自分はどうなるんだろう?』って不安になった。その後Kennyは別のバンドに加入し、後にMidnight StarのメンバーとなるBo Watsonと曲を書いていたんだ。そしてある日、Kennyから電話が来て、『'Slow Jam'っていう曲を書いたんだ。聴いてくれ』と言われた。あれは本当に素晴らしかった。そしてその曲は、Midnight Starのアルバムに収録されることになった。

Midnight Star - Slow Jam

その頃、Midnight StarはThe Deeleの制作にも関わっていて、誰かが『Kennyをバンドに入れた方がいい』って言ったんだ。そしてKennyから電話が来たんだよ。『The Deeleに入ったんだ。一緒にツアーに来て、曲を書かないか?』って。僕は電話を落としそうになったよ。そしてすぐ荷物をまとめて、飛んで行ったんだ。そのツアーで、僕らはLuther VandrossやDeBargeの前座を務めたんだけど、ツアーの合間、僕たちはずっと曲を書いていた。そしてKennyとL.A.は、空いた時間を利用して、制作した曲を色々なアーティストへ売り込んでいたんだ。ツアー終了後、僕は一度家に戻った。でもKennyとL.A.はロサンゼルスに残り、ソングライター兼プロデューサーとして成功を目指していたんだ。そんなある日、Kennyから電話が来たんだ。『The Whispersが'Rock Steady'をレコーディングすることになった。それに、君が書いた'In The Mood'も録るって言ってる』って。僕は『嘘だろ!?』っていう感じだった。そして僕はすぐロサンゼルスへ向かったんだ。

The Whispers - In The Mood

その頃、僕たちはHighland Avenueの小さなアパートに住んでいた。僕は機材の置かれた部屋の床で寝ていたんだ。するとL.A.が部屋に入ってきてこう言ったんだ。『起きろ!Sheena Eastonが曲を聴きに来るんだ』ってね。次の日にはJames Ingramが、その次はJohnny Gillも来た。Paula Abdulが来たこともあったよ。壁にはL.A.が設置した巨大なホワイトボードがあって、そこには僕たちが書いた曲がズラッと書かれていた。僕たちの曲を聴きに、アーティストたちが次々にやって来たんだよ。それが僕たちの仕事場だったんだ。当時はまだスタジオなんて持っていなかったからね。L.A.とKennyがプロデューサーで、僕はただのソングライターだったから、部屋の隅で座って待つという感じだったんだ。そしてアーティストたちが『Daryl、歌って!』と言うんだ。それで僕は、アーティストの前でデモを歌うんだよ。Johnnyのために'Fairweather Friend'を歌い、Paulaのために'Knocked Out'を歌った。

Johnny Gill - Fairweather Friend

するとKennyとL.A.は、『よし、この曲はPaulaに』『これはJohnnyに』『これはKaryn Whiteに』っていう感じで決めていったんだ。当時は完成したボーカル入りデモなんてなかった。トラックだけ流して、Kennyが『一緒に歌ってくれ』と言ってきて、僕がコーラスを歌い始める。するとJohnnyが、『最高だ!頼む、この曲を俺にくれ!』と言ってくる。そんなやり方を、僕たちは何年も続けていたよ」
Babyface、L.A. Reidと共に、数々のヒット曲を生み出してきたDaryl Simmons
Daryl Simmons

「俺たち、曲を書き始めた頃から、ずっと同じことを、同じやり方でやってるよな」


また、Daryl Simmonsは自身の役割について、また相棒のBabyfaceについて次のようにコメント。

「僕とKennyの関係は、今でも変わっていないよ。40年以上、まず友人関係があり、その延長線上でずっと一緒に曲を書いてきた。彼はソロでも素晴らしい仕事をしてきたし、僕も自分でやってきたことはある。でも結局、ずっと一緒に書いてきたんだ。僕、Kenny、L.A.の3人で制作していた時、僕の主な役割は歌詞だった。時にはL.A.がドラム・トラックを持ってくることもあったけど、多くの場合、Kennyがすでにコードやメロディを作っていた。彼は『こんな感じを考えてる』『こういうメロディなんだ』と話してくれる。僕は彼の物語を分解して、彼が行きたい方向を理解し、そこへ辿り着くのを手助けするのが得意だったんだ。Kennyは『こんなアイデアがあるんだけど、どれが気になる?』と言って曲を聴かせてくる。僕が『待って、それはレコードになる』と言うと、彼はチェックを入れる。だから今でも、僕が貢献するのは主に歌詞とメロディなんだ。でも、すべての始まりはいつもKennyなんだよ。彼は『天才』という言葉を嫌がるけど、僕にとっては音楽の天才さ。僕はサイドカーみたいなもの。よく『Batman & Robin』に喩えるんだよ。Batman(Kenny)は全部できる。でも時々Robin(Batmanの相棒)が必要になるんだ。実際、『Waiting to Exhale』のサウンドトラックも、Kennyがほぼ一人で作り上げた。本当に素晴らしかったし、誰の助けも必要としていなかった。

Waiting To Exhale (OST)

でも彼はいつも『チームの方がもっと良くなる』って言うんだ。僕がただ部屋にいるだけでも意味があるって。彼は『君がそこに座ってるだけで、何か思いつくんだ』って言ってくれた。だから僕は『座ってるだけでアイデアの助けになるなら最高だね』って返したよ。僕たちには、出会った頃からずっと変わらないやり方があるんだ。『Return of the Tender Lover』を制作していた時にも、彼がこう言ったんだよ。『俺たち、曲を書き始めた頃から、ずっと同じことを、同じやり方でやってるよな』って。

Babyface - Return Of The Tender Lover

クローゼットの中でも、アパートでも、倉庫でも。場所は違っても、やっていることはずっと同じだったよ。僕と彼が同じ部屋に入って、気づけば何か素晴らしいものを作り上げて出てくる。それが自然に機能するんだ。そこにはいつも調和がある。僕たちは、同じチャンネルにいるんだよ」
中学時代に出会ったDaryl SimmonsとBabyface
Daryl Simmons Babyface


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