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  • 執筆者の写真R&B SOURCE編集部

Tyrese|"Sweet Lady"をタイリースに渡すことを渋っていたジョンテイ・オースティン。「彼は俺の場所を奪ったんだ」


"Sweet Lady"をTyreseに渡すことを渋っていたJohnta Austin。「彼は俺の場所を奪ったんだ」

Tyreseに"Sweet Lady"を譲りたくなかったというJohnta Austin


「昔は遊んでいたけど、今はもうそんなことは出来ない。


だって君が欲しいから。


Sweet Lady, 一生僕の女性でいてくれるかい?


君が僕を必要とする時、僕は側にいるから」


Boyz Ⅱ Men, SWVらの楽曲を手がけてきたTroy TaylorとCharles Farrarによるプロデューサー・チームThe Charactersがプロデュースを担当し、当時まだ10代だったJohnta Austinがソングライトを担当した、Tyreseの"Sweet Lady"。


クレジットに名前こそ記されていないものの、実はソングライターとしてCarl Thomasも参加したというこの曲は、'98年に発表されたTyreseのデビュー・アルバムに収録され、全米シングル・チャート最高12位を記録。


後にリリースされる"How You Gonna Act Like That"と並ぶ、Tyreseが歌う不動の名バラードですが、この曲のアイデアはJohnta Austinがまだ駆け出しの頃に持っていたもので、結果的にTyreseへと渡されることになった楽曲。


しかし、当時のJohnta Austinは"Sweet Lady"をTyreseに渡すことを渋っていたとのこと。


Tyrese

Tyrese



「彼は俺の場所を奪ったんだ」


米ジョージア州アトランタ出身のJohnta Austinは、8歳の頃からショー・ビジネスの世界で活動をスタートし、地元アトランタのケーブル・テレビ「CNN」の子供向けプログラム「Real News For Kids」にてリポーターを務め、Michael Jackson, Michael Jordanといったトップ・セレブのインタビューをこなすなど、ティーンズ時代からスケールの大きさを感じさせた天才肌。


その後、コメディアンのArsenio Hallが主催した深夜のトーク・ショー番組「The Arsenio Hall Show」にて歌手としてテレビ・デビューを果たし、この出来事がきっかけでアーティストへの道を本格的に志したJohnta Austinは、'90年代初期に[RCA Records]でSWVのマネージメントを担当していたKenny Ortizの目に留まり、若干13歳という若さで[RCA Records]とアーティスト契約を結ぶことに。


この時期に出会った人物が、プロデューサー・チームThe CharactersのTroy Taylorで、「R&B Money」のインタビューでTroy Taylorが語った内容によると、当時のJohnta Austinはよくその辺で歌を歌っており、その曲は何?と聞くと、Johnta Austinは適当に作った曲だよと答え、しかし適当に作った割にはフックもあるしっかりした曲だったようで、この時にTroy TaylorはJohnta Austinに特別な才能があると感じたとのこと。


[RCA Records]とサインした後、Troy TaylorとJohnta Austinは制作現場で仕事を重ねるも、Kenny Ortizと周辺の上層部が同レーベルから解雇されてしまい、このタイミングでJohnta Austinも契約解除を通告されることになるものの、Johnta Austinの才能の高さを確信していたTroy Taylorは、彼の才能を伸ばす為に直々にサポートをすることに。


[RCA Records]からKenny Ortizらが抜けた後、同レーベルに新しい上層部が配属され、この時に新しいアーティストとして彼らがサインしたのがTyreseだったとのこと。

当然、この出来事を面白くないと思ったのは、アーティスト・デビューする前に[RCA Records]から解雇されたJohnta Austinで、しかもあろうことか新しい上層部達はTyreseの楽曲制作をTroy Taylorらに依頼。


Troy TaylorとしてはそれまでJohnta Austinと一緒に仕事をこなし、そんなJohnta Austinを放置したまま新しく連れてきたTyreseの楽曲制作依頼してきた[RCA Records]に対して不信感を抱きながらも、「この仕事をJohnta Austinに振ってみたらどうだろう」というアイデアを思いつき、Troy Taylorはこのオファーを受けることに。


そしてTroy Taylorは電話で感情的になっているのは分かるが、もし君が賢かったらこの仕事を受けるだろうとJohnta Austinを説得し、Johnta AustinもTroy Taylorと仕事を続けてもう一度チャンスを掴みたいと切望していたことから、デモ音源の制作に着手。


その後何度かダメ出しを受けながらもデモ音源を完成させ、この時に作ったデモ音源こそ、後にTyreseが歌うことになる"Sweet Lady"。


しかし、デモ音源を制作していた時点では、この曲を誰が歌うのかをまだJohnta Austinは知らされていなかったようで、その後[RCA Records]から「この曲をTyreseに歌わせたい」と言われ、当時の様子を「R&B Money」のインタビューでJohnta Austinは次のようにコメント。

「あの黒人を助けたくなかった。彼は俺の場所を奪ったんだ」

Sweet Lady

Tyrese



"Sweet Lady"を気に入らなかったというTyrese。その理由は?


Johnta Austinは、自分が制作した"Sweet Lady"を、自分の居場所を奪ったライバルTyreseに与えるという苦渋の決断をするも、そんな一連の流れを知ってか知らでか、なんとTyreseは"Sweet Lady"を気に入らなかったとのこと。


"Sweet Lady"のレコーディング初日、Tyreseは予定をすっぽかしてスタジオに現れず、後のレコーディングでも色々と難癖をつけてきたり、Troy Taylorらの指示に従わず、勝手にアドリブを加えたりとやりたい放題で、結果的にTroy Taylorが上手くなだめて何とかレコーディングを終えたものの、"Sweet Lady"のコーラス・パートは、レコーディングの初日にTyreseを待っている間、Troy Taylor自身が待ち時間に録ったバースをそのまま使ったと、「R&B Money」のインタビューで激白。


Tyreseが"Sweet Lady"を嫌っていた理由は定かではないものの、Tyreseはスロウ・ジャムの歌い手、つまり「バラッディア」と呼ばれることを嫌っており、過去のインタビューでTyreseは次のようにコメント。

「俺にはアップテンポのヒット曲もあるし、スロウな曲でビッグになったとしても『Tyreseはバラッディア』と決めつけられるのは困る。たまたまスロウな曲がヒットしてしまったせいで、そういうカテゴリーに入れられてしまった感じだ。バラッディアと呼ばれるのは構わないし、コンサートでスロウを歌うのは好きだけど、自分が表現したい内容が必ずスロウな曲と合うわけではないのも事実。俺はステージで汗をかきたいし、かかせたい。スロウ・ジャムだったら踊り狂うわけにはいかないだろ?俺のコンサートには女性だけじゃなく、男性も沢山来るんだ」

"Sweet Lady"が大ヒットした影響により、「Tyreseは正統派バラードの歌い手」というクリーンな印象を多くのファンが抱くことになるも、当のTyrese本人は米ロサンゼルスの中でも治安が悪いとされている地区ワッツ(Watts)出身ということもあってか、ストリート感のある「ちょい悪」なスタイルこそ自分の本当のスタイルであるとし、2001年発表のセカンド・アルバム、その名も『2000 Watts』ではアップ・ナンバーを多めに収録し、バラッディアとしてのイメージを払拭。


ちなみに、Troy TaylorとJohnta Austinは『2000 Watts』用に複数の楽曲を用意し、その中の1曲が"Can You Feel Me"という楽曲で、Troy TaylorとJohnta Austinはあえて"Sweet Lady"に似た曲調を意識して制作し、これは意図的に"Sweet Lady"のイメージを再現することによってヒットに繋げようとした試みだったものの、彼らとTyreseはあまり音楽的相性が良くなかったせいか、またそもそもTyrese自身が"Sweet Lady"を好んでいなかったこともあり、Troy TaylorとJohnta Austinが用意したいずれの楽曲も不採用に。


最終的にはこの"Can You Feel Me"は、Shaniceをゲスト・ボーカルに迎えてKenny Lattimoreが歌うことになり、2001年に発表されたサード・アルバム『Weekend』に収録。


Can You Feel Me feat. Shanice

Kenny Lattimore



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