「お前は音楽をダメにした」
2013年のBET Awardsに向かう機内で眠りについていた時、客室乗務員から「Usherが話をしたがっている」と声をかけられて起こされたT-Pain。
同じ飛行機に乗っていたUsherと軽い話をした後、Usherが神妙な面持ちで口を開いたとのこと。
「お前は音楽をダメにした。シンガーのための音楽を壊した」
友人であるUsherにこう指摘され、その瞬間は一体何のことを言っているのか理解出来なかったものの、Usherが何をいっているのかに気付いたT-Pain。
それが、オートチューンでした。
オートチューンを使ってブレイクしたT-Pain
このUsherとのやりとりは、Netflixで公開されているドキュメンタリー・シリーズ「This Is Pop」のインタビューにてT-Painが語った内容。
オートチューンとは、どんな声でも自在に補正することが可能な音楽ソフトで、素人の歌声でもプロ同然のような歌声に仕上げてしまう、音楽の在り方を根底から覆してしまった魔法のような音楽ソフトで、オートチューンが登場してから、プロデューサーの仕事が「歌唱力の優れた歌手を探してくる」から「容姿の整った人を探してくる」にまで変わってしまったと言われるほど。
そんなオートチューンを発明したのは、地震データを収集していた技術者Andy Hildebrand博士で、音楽業界からの需要が見込めるとのことで、あくまで音声ピッチの補正用としてオートチューンを発明したものの、オートチューンが全米中のレコーディング・スタジオに普及した後に様々な使われた方に発展し、そしてオートチューンを過度に設定したところ、T-Painの代名詞ともなっている、機械的で人工的なあの「ロボット・ボイス」が偶然生まれたとのこと。
Andy Hildebrand博士は、オートチューン発明当初はこのような効果が出ることを把握していなかったようで、このオートチューンの特性を活かし、世界的大ヒットを記録したのがCherの"Believe"。
オートチューンが音楽シーンで取り入れられた当初は、プロデューサーやエンジニアはその存在を隠しながらオートチューン を使用し、様々なアーティストが密かにこのオートチューンを取り入れた楽曲を発表していくことに。
そして、この未知なるサウンドに食い付いたのがT-Pain。
Jennifer Lopezの"If You Have My Love (Dark Child Remix)"を聴いた時に、通常のJennifer Loepzの声じゃない部分があると気付き、この謎を解明するのに1年の時間を費やし、それがオートチューンだったと突き止めた時には「斬新な曲を作れる」と確信し、涙を流すほどの嬉しさだったとのこと。
If You Had My Love (Dark Child Remix)
Jennifer Lopez
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そして、自らが虜になったオートチューンを使用し、T-Painは2005年にシングル"I'm Sprung"でデビュー。
全米シングル・チャート最高8位を記録する大ヒットとなりました、が。
T-Painは「オートチューンは、異質すぎて否定された。こんな変なサウンドが必要か?」と、反対派意見が多かった振り返っており、また「'80年代のRoger Troutmanがきっかけで流行したボコーダーのことをみんな忘れている」ともコメント。
I'm Sprung
T-Pain
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評価が分かれたT-PainとKanye West
"I'm Sprung"の成功後、オートチューンを使ったあの「ロボット・ボイス」を代名詞とし、T-Painは反対派意見をものともせずに次々とヒット曲を量産し、2007年リリースの"Buy U a Drank (Shawty Snappin') feat. Yung Joc"で全米シングル・チャートを制覇。
Buy U a Drank (Shawty Snappin') feat. Yung Joc
T-Pain
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2000年代後半に差し掛かる頃には、「最も共演したいアーティスト」として各所に引っ張りだこになっていたT-Pain。
良くも悪くも、オートチューンがトレンドになっていたことからT-Pain需要が急上昇したものの、同時に共演者達はT-Painのように批判されることを恐れ、オートチューンを使うのはあくまでT-Painのみというパターンがほとんど。
しかし、その後Kanye Westがアルバム『808 & Heartbreak』でオートチューンを取り入れたことがきっかけで、それまで批判続きだったオートチューンに対しての評価が「創造的な発明」と一変。
ちなみに、Kanye Westはオートチューンを使用した『808 & Heartbreak』がヒットすることを確信していたとのことで、またKanye WestはT-Painのデビュー・アルバムを気に入っていたとのこと。
結局はそのツールを「誰が最初に使い、誰が流行らせるか」というところが1つのポイントで、オートチューンがあまりにも魅力的で、あまりにも革新的だったゆえに、それをT-Painという当時はまだ名もなき新人が多用したことにより多くの注目を集めたことに対して、その状況をあまりよく思わない人もそれなりな数はいたことは想像に難くなく、そうでなければ'80年代にRoger Troutmanが流行させたトークボックスや、Kanye Westが後追いでオートチューンを使用したことも、T-Painと同じように批判の対象になるはず。
結果的に、Kanye Westのアルバムでオートチューンの評価は一変したものの、オートチューンを多用しすぎたという理由で、T-Painは1人悪者にされることに。
歌えることを証明して見せたT-Pain
オートチューンを巡ってあらゆる議論が繰り広げられた背景には、「機械の力を使うことに背徳感を覚える人が多い」という、時代の過渡期ならではの、ある種の「困惑」がその1つの理由で、今まで実力で評価されてきたアーティスト達が作り上げてきた正当な歴史が、「オートチューンという得体の知れないソフトの登場によって、これまでの全てがまるで無かったかのように消え去ってしまうのではないか?」というような不安や恐れを多くの人が共通して抱いてしまったゆえ、その矛先が新人であるT-Painに向けられてしまったのだと思います。
オートチューンを多用したことが仇となり、Usherに「お前が音楽をダメにした」と言われて世間から非難されたT-Painは、結果的にうつ病を患うほど精神的にドン底まで落とされてしまったものの、そんな彼の評価を一変させる出来事が起きることに。
それが、「Tiny Desk Concert」
「Tiny Desk Concert」とは、米公共ラジオ放送NPRの音楽部門の事務所にて行われる小規模のライブ・コンサートで、ライブ・ハウスに備えてあるような豪華な音響や照明などは一切なく、観客もスタッフのみというシンプルな企画。
しかし、シンプルゆえに実力を一切ごまかせないというライブ・コンサート、この「Tiny Desk Concert」にT-Painが2014年に出演。
もちろんオートチューンは使えないこの状況でT-Painのライブが行われ、このライブをきっかけにT-Painの評価が激変することに。
一連のオートチューン騒動により完全に自信を失っていたT-Pain。
「いいところを見せなければいけない、もっと落ち着かないと」など、色々な事を頭に巡らせ、終始床や横などを見ながら歌い続け、しかしパフォーマンスを終えるとスタッフ達から大きな拍手が。
このパフォーマンス後、オンライン上でも「実は歌えたT-Pain」「力強い歌声」など、T-Painの歌唱を絶賛する声が相次ぐことに。
しかし、T-Painはこの反応に腹が立ったとか。
「ふざけるなと思ったよ」
T-Painは音楽をダメにしたのか?
オートチューンを使用して売れっ子になったT-Painだけに、オートチューン無しでは歌えないと思ったファン心理は理解出来る一方、T-Painとしては、自分が作ったビートやメロディはそっちのけで、「オートチューンだけのアーティスト」だと思われていたことに、かなり落胆したのが正直なところだと思います。
T-Painが、オートチューンを使用した話題作りをしていなかったとしたら、今のような成功があったかはさておき、オートチューンを流行らせ、オートチューンによってT-Painが注目を集めたことは確かで、それと同時にその革新的な音楽ソフトを使用したことにより、音楽シーンに一時的なパニックが引き起こされたことも事実。
しかし、テクノロジーの進化によって様々な恩恵を受ける現代社会において、「SNSに投稿する写真を加工することは詐欺的」「身体の一部が機械化した人間のスポーツ競技記録は無効」という議論と同じように、それらのサービスや技術を望む人だけが受け入れればいいだけの話で、「This Is Pop」内で「俺はオートチューンを使っただけだ。俺はオートチューンを発明していない」というT-Painの主張のように、「T-Painが音楽をダメにした」という表現は、少々大袈裟な表現かと個人的には思いました。
Bartender feat. Akon
T-Pain
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T-Painを精神的に導いた妻Amber
オートチューンを使用したことを、友人のUsherから完全に否定され、徐々に間違っていたのは自分だったのではないかと疑心暗鬼になり、T-Painは周りに意見を求めるようになったものの、周囲からの反応は常にUsherと同じだったとのこと。
「他のことをやれ」
オートチューンで注目を集めたものの、結果的にそのオートチューンに苦しめられ、「音楽を殺した人間」というレッテルを貼られてしまったT-Pain。
Usherどころか、相談したSnoop Doggにも批判され、完全に自信喪失状態に陥っていたT-Painを救ってくれたのが、いつもそばで支えてくれた妻Amberだったとのこと。
黒人と白人の子として育ったAmberは、ステレオタイプな生き方を押し付けられる辛さを理解しており、夫には、周りからどれだけ批判されようが、自分の信念を貫いてやりたいことを自由にやって欲しいと願っていたとのこと。
T-Painから「"I'm Sprung"は出してもよかった?」と聞かれたAmberは、「ええ、そうよ」と答え、続けて次のように持論を展開。
「その内みんな理解する。型にはまらなくていい。R&Bらしさにこだわる必要はない」
T-Pain自身、オートチューンを使ったことは時期早々だったかもしれないと、過去を後悔していた時期もあったとのことで、しかし妻がこれまでの人生で学んだ経験によって、T-Painはこの窮地から救われることに。
T-Painは、妻Amberから様々な助言を受けた中で、「なぜ?」を自問することを習慣化しているとのこと。
オートチューンを批判され、4年間うつ病に苦しみ、音楽を辞めようとさえ考えていたT-Painは、「誰も俺のことを尊敬していない」と妻に心の内を明かした時、Amberは「それはなぜ?」とシンプルに質問し、続けて次のように助言。
「この『なぜ?』に答えられないなら、あなたは間違っている。あなたにその考え方は必要?あなたが音楽に夢中になった理由はそれなの?」
妻のこの助言により、音楽を辞めるという選択肢は相応しくないと気付いたT-Pain。
ちなみに、「なぜ?」を自問したT-Painは、結果的に禁煙にも成功したとのこと。
妻の精神的なサポートにより、周りのことを一切気にしないで、自分の好きなことを存分にやるという精神性に目覚めたT-Painは、2021年にKehlaniを迎えて、自身最大のヒット曲"Buy U a Drank (Shawty Snappin') feat. Yung Joc"をセルフ・サンプリングした"I Like Dat"を発表。
I Like Dat
T-Pain, Kehlani
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