GROOVE THEORY|元々はトレイ・ロレンツの為に書いたという"Tell Me"。「だから自分では歌いたくなかった」
- R&B SOURCE

- 8月13日
- 読了時間: 11分
更新日:8月20日

当初は3人組ユニットだったGroove Theory
プロデューサー/キーボーディストのBryce Wilson, そして後にソロ・デビューも果たすことになる女性シンガー/ソングライターAmel Larrieuxの2人によって、'93年に結成されたGroove Theory。
2人は流行にも周囲の意見に流されない強い信念を持ち、それが彼らを引き合わせることになった。

元々はラッパーを志していたBryce Wilsonは、Groove Theoryを結成する前に、エレクトロ・ヒップホップ・ユニットMantronixでラップを担当(当時のアーティスト名はMC Luvah)。
しかし、米ニューヨーク州クイーンズ出身のBryce Wilsonは、ヒューマンビートボックスの先駆者Biz Markieと競い合うほど、本物のラッパーになることにこだわっており、Mantronixの真髄であるスピード感溢れるスタイルが彼の目指していた方向性とは異なっていたようで、音楽週刊誌「Echoes」の記事でBryce Wilsonは次のようにコメント。
「ダンス・ミュージックはやりたくなかった」
Mantronix|Got To Have Your Love
Apple Music: https://apple.co/4oou4ol
その後Mantronixを脱退したものの、それでも音楽活動を続けたいと考えたBryce Wilsonは、独学でプロデュース業に挑戦。
当初は何をしているのか全く分からないほどのレベルで、しかし約1年間自宅でビートを作り続けた結果、彼は[Universal Music Group]傘下の音楽出版社[Rondor Music]の女性クリエイティブ・マネージャー、Karen Durantの目にとまり、[Rondor Music]と出版契約を結ぶことに。
その後、ほどなくして彼が立ち上げたユニットこそGroove Theoryであり、当初はAmel Larrieuxではなく別の女性2人をボーカルに起用し、そしてBryce Wilsonは裏方に徹して、3人組ユニットとしてスタートを切ろうとしていたとのこと。
しかし、Mantronix時代の失敗を繰り返すまいとしたのか、Bryce Wilsonが目指す方向には、商業的な要素が一切盛り込まれていない、シンプルで落ち着いたプロダクションだったようで、そのため、彼の音楽性を理解する者は、当時ほとんどいなかったという。
さらに、その強いこだわりが裏目に出てしまったかのように、当初起用を予定していた2人の女性ボーカルは、デビュー前にGroove Theoryを脱退してしまうことに。
そしてこの後にBryce Wilsonの前に現れたのが、「一緒に仕事をしていると、音楽的に頭の中が一つになり、彼女が全てを繋ぎ合わせてくれたんだ」と彼自身が惚れ込んだ、Amel Larrieuxだった。

Groove Theoryの2人は、"Tell Me"を歌う気が全くなかった
米ペンシルバニア州フィラデルフィア出身のAmel Larrieuxは、地元の芸術学校[The Philadelphia High School for Creative and Performing Arts](通称CPCA)に通い、同じ時期、この学校にはBoyz Ⅱ Menの全メンバー(グループ始動前に脱退したMarc Nelsonを含む)、そしてヒップホップ・バンドThe RootsのQuestlove, Black Thoughtらも在籍していたとのこと。
その後、Amel Larrieuxは母の支えを受けてニューヨークの[City-As-School]に入学。
これが彼女にとって大きな転機となり、当時の様子を「COMPLEX」のインタビューで次のように回想。
「ここはオルタナティブ系の高校で、クラスメイトにはMos Defもいたわ。週に数回だけ授業に出ればよい学校で、その代わりに、自分の好きな会社や団体でインターンシップができたの。 私は、[Zomba Music Publishing](Jive Recordsの一部門)で働くKaren Durantのもとでインターンをした。卒業直前まで彼女のもとでインターンを続けていたけど、彼女が[Rondor Music Publishing]に移って良いポジションを得たみたいで、その時に『あなたをアシスタントとして雇いたい』と連絡をくれたわ。そこで働いていたとき、Bry(Bryce Wilson)と知り合ったのよ」
Amel Larrieuxは、[Rondor Music]の受付係を任されていたこともあり、そこへBryce Wilsonがよくピアノを弾きに訪れていたとのこと。
記述の通り、Karen DurantはByrce Wilsonと出版契約を交わした人物で、2人のことをよく知っていた彼女は、「EBONY Magazine」の記事で次のように当時を回想。
「Amelは洗練された雰囲気にも、ざっくばらんな雰囲気にもなれるクールな若い女性だったけれど、ストリートっぽさはまったくなかった。それに彼女はすばらしい詩人でもあって、どこか悲しく感傷的な詩を書いていたわ。それがとても良いと思ったのよ。そしてBryceはよく[Rondor Music]に来てピアノを弾いていたんだけど、あるメロディを何度も繰り返し弾いているのを耳にしたわ。そこで私は、Amelならそのメロディに歌詞をつけられるだろうと思ったの。2人は性格がまったく違っていたけれど、きっとうまくやれるはずだと思ったのよ」

続けて、Amel Larrieuxは「COMPLEX」のインタビューで次のようにコメント。
「Karenは私が常に曲を書いていることを知っていて、色々な人を紹介してくれたわ。あるとき、彼女が『Bryceがレコード契約を探していて、グループを作ろうとしているの。デモがあるから、ひとつ書いてみない?』と言ったの。当時、私はデモのカセットテープのラベルをタイプして保管する仕事をしていた。それで、Bryceに頼まれてとりあえずデモを録ってみたら、『グループに入らないか』と言われたわ。彼のところには色々なシンガーが来ていたけど、作詞作曲ができる人はいなかったみたい」
この時点で、Bryce Wilsonは彼女との相性の良さにすっかり魅了され、またAmel Larrieuxも型破りな表現を追求するBryce Wilsonの姿勢に共感していたようで、Bryce WilsonはAmel Larrieuxについて次のようにコメント。
「彼女のメロディと音色は、まるで全く違う角度から来たようだった」
そしてKaren Durantのサポートを受けた2人は、レコード契約獲得を目指してデモ制作を開始し、その中には、後に彼らの代表曲となる “Tell Me” も含まれていたとのこと。
ちなみにこの時、2人の恩師であるKaren Durantは[Rondor Music]から[EMI Records]へとすでに移籍しており、そこでGroove Theoryの契約を試みたものの、同レーベルはすでにD'AngeloとJoiという2組の新人と契約していたため、実現には至らず。
また、[LaFace Records]のL.A. Reidも彼らに興味を示したものの、結局何も進展はなかったとのこと。

しかしその後、Bryce Wilsonの昔からの友人が[Epic Records]でA&Rのポジションに就いたことがきっかけで、2人は同レーベルとのメジャー契約を締結。
そして[Epic Records]は、当然"Tell Me"をシングルとして推す方針を示したものの、彼らには"Tell Me"を歌う意思は全くなかったとのこと。

もともとはTrey Lorenzのために書いたという"Tell Me"
[Epic Records]との契約にこぎ着けたものの、レコード会社の重役たちはBryce Wilsonに対し、「ある要求」を繰り返し突きつけ、そのことが不服だったという。
当時の心境を、Bryce Wilsonは「EBONY Magazine」の記事で次のようにコメント。
「レコード会社は、Teddy Rileyみたいなサウンドのレコードを作れと言ってきたんだ。ニュー・ジャック・スウィンは好きだったけど、やりたくなかった」

'90年代初頭だった当時、TLC, Boyz Ⅱ Men, Jodeciといった若手グループ達がチャートを席巻し、またShanice, Tevin Campbellといったティーン・スター達も目覚ましい躍進を遂げ、次々と新たな才能が羽ばたいていた時代。
一方、Teddy RileyはMichael Jacksonの傑作アルバム『Dangerous』で、ニュー・ジャック・スウィングをさらに進化させ、その影響力を揺るぎないものにしていた時期。
関連記事
そんな時代背景もあって、レコード会社は「既存の成功例の模範」という安全策を重視する傾向にあり、また一方で、ソウル、ジャズ、ヒップホップを基盤としたGroove Theoryのサウンドが当時としては斬新だったゆえに、[Epic Records]はそれをどう売り出すべきか把握できておらず、実はGroove Theoryとの正式な契約を躊躇していたという話も。
しかしBryce Wilsonは、自身のこだわりを変えるどころか、重役たちからの一方的な要求に苛立ちを覚え、「ニュー・ジャック・スウィングのスタイルを壊すこと」を目標にしていたほどで、時代の潮流に抵抗するかのように独自のスタイルを追求。
'95年のインタビューで、Bryce Wilsonは楽曲制作へのこだわりを次のようにコメント。
「『ファストフード・ミュージック』を作ったり、ラジオで流れてくる誰もがやっているような音楽を出すつもりはない」
そんなBryce Wilsonの強い信念に押されたのか、[Epic Records]は「デモ音源の中から最もヒットの可能性が高いと判断した楽曲を推す」という方針に戦略を変更せざるをえなくなり、そしてその曲こそ“Tell Me”だったという流れ。
しかし、Groove Theoryの2人はこの曲に対して特別な感情を全く抱いていなかったとのこと。
というのも、この曲は彼らと同じ[Epic Records]に所属していたTrey Lorenzのために、Amel Larrieuxが書いた楽曲だったという(Mariah Careyの"I'll Be There"でデュエットしたシンガー)。
Mariah Carey|I'll Be There feat. Trey Lorenz
Apple Music: https://apple.co/4ozAMIh
Amel Larrieuxは、「COMPLEX」のインタビューで"Tell Me"について次のようにコメント。
「あれはTrey Lorenzのために書いた曲。だから自分では歌いたくなかったのよ。『これは私の曲じゃない!』って、本当にそう思ってた。だって男性が歌う曲だし、当時の私の方向性とも全然違ったから。でもレーベルがすごく押してきたの。『確執があった』なんて言いたくないけど、正直ちょっと気まずかったわ。本来はTreyのアルバムに入る予定の曲だったから、Treyの声もそのまま残ってるの。何がどうなったのか私もよくわからないけど、契約とか事務的な事情ってやつね。だからヒットするなんて全然思っていなかった。でもレーベルは絶対にヒットすると考えていて、結果的にその通りになったわけ。色々と不満もあったし、あのレーベルを離れられて心底嬉しかったけど、この件に関してだけは彼らが100%正しかったわね」
Groove Theory|Tell Me
Apple Music: https://apple.co/38y5Kuu
そんな"Tell Me"は、「私は本気であなたを大事にしたい。だからあなたも同じ気持ちか教えて」と、恋の始まりに感じる甘いときめきを歌ったラブ・ソング。
「ずっと自分の道を歩いてきた。
恋って、いつもタイミングが合わないものだった。
でも驚いたことに、あなたと目が合ってから、ひとつの質問だけが浮かんでいるの。
ねぇ、もし望むなら教えて。
あなたのために、私の時間を全部あげてもいい。
だって、あなたは私を夢中にさせるから。
誓うわ、裏切らないって。
あなたは完璧な人だから。
だから、あなたのものになってほしいなら、教えて」
最終的にTrey Lorenzの楽曲としては採用されなかったことから、その流れでGroove Theoryが歌うことになったかと思いきや、それでも2人は"Tell Me"を歌うことを断固として拒否。
そこで、同じ[Epic Records]に所属していたUKのR&BグループRhythm N Bassにこの楽曲を渡してしまい、彼らが'93年に"Tell Me (If You Want Me Too)"として、Groove Theoryよりも先に"Tell Me"を発表(ちなみに、このグループのメンバーの1人が、'98年にソロ・アルバム『Crucial』を発表したAli)。
Rhythm N Bass|Tell Me (If You Want Me Too)
しかし、この曲は彼らのシングル"Can't Stop This Feeling"のB面にひっそり収録されただけで全く話題にならず、その経緯を経て、ようやくGroove Theoryがこの曲を歌うことに。
一方、Amel Larrieuxもレコード会社からの「ある要求」に不満を持っており、それが彼女に対して「派手でセクシーなスタイルを求めたこと」だった。
彼女は愛の表現やイメージが、常にセックスを基準にしている現状を覆したいと考えており、'95年のインタビューで次のようにコメント。
「若い女性たちに、『セクシーな女神』である必要なんてないって印象を与えたいの。ただ音楽を愛していればいいのよ」
そして[Epic Records]の広報担当だったLa’Verne Perry-Kennedyは、Amel Larrieuxについて次のようにコメント。
「Amelはとても美しかったけれど、自分を売り物にするつもりは全くなかったの。そこはすごく厳しかったわ。最終的には、彼女が気に入るプラダの素敵な服を見つけて、それを"Tell Me"のMVで着てもらったの。レコード会社は彼女をもっと『セクシー路線』にしたがっていたけれど、彼女は絶対に受け入れなかったのよ」

レコード会社との折り合いが最後までつかず、不本意ながら歌うことになった"Tell Me"は、全米シングル・チャートで最高5位を記録し、さらに'95年のビルボード年間シングル・チャートで65位にランクインした、'90年代を代表する名曲の1つに。
Billboard Year-End Hot 100 singles of 1995
1. Gangsta's Paradise - Coolio fea L.V.
︙
61. You Don't Know How It Feels - Tom Petty
62. Back for Good - Take That
63. Tootsee Roll - 69 Boyz
64. You Want This / 70's Love Groove - Janet Jackson
65. Tell Me - Groove Theory
66. Can't You See - Total feat The Notorious B.I.G.
67. All I Wanna Do - Sheryl Crow
68. This Lil' Game We Play - Subway feat 702
69. Come and Get Your Love - Real McCoy
70. This Ain't a Love Song - Bon Jovi
しかし、この曲は彼らにとってあまりにも簡単に完成した楽曲だったようで、また革新性にも欠けていたことから、この曲がチャートインした際、Amel Larrieuxは「正直に言って、恥ずかしい」というコメントを残したというほど。
"Tell Me"はGroove Theoryのデビュー・アルバムに収録され、この作品は全米アルバム・チャート最高65位を記録。
Groove Theory|Groove Theory
Apple Music: https://apple.co/3Jbi1L7
"Tell Me"をサンプリングするアーティスト達
ちなみに、Amel LarrieuxはGroove Theoryでデビューする前に、LL Cool Jの"I'm Bad"のMVに出演していたようで(おそらく02:05〜に登場する女性)、この曲を手がけたL.A. Posseが、"Tell Me"をプロデュースするという予定があったものの、結局それは実現しなかったという。
LL Cool J|I'm Bad
様々な困難を経て完成したGroove Theory不動の代表曲"Tell Me"は、時代を超えて多くのアーティストたちを魅了し続けており、そんな永遠のクラシックにオマージュを捧げる形で、Groove Theoryから影響を受けた次世代のアーティストたちが、それぞれの解釈で"Tell Me"のスピリットを継承する楽曲をリリース。
Gallant|Miyazaki
Apple Music: https://apple.co/2VEpgmu
Kenyon Dixon|Tell Me feat. Alex Isley
Apple Music: https://apple.co/3fSoM33
DJ E-Feezy|Tell Me (Remix) feat. Ty Dolla $ign, Tory Lanez, Trey Songz
Apple Music: https://apple.co/3ORb7c5
Bynoe|Tell Me
Apple Music: https://apple.co/40h2Vdl
Outlaw_da_realest|Tell Me feat. Dimples, Maia
Apple Music: https://apple.co/4f0S77O
























