- R&B SOURCE編集部
Bobby Brown▶︎▶︎リリースされずに消えたアルバム『Mystical Magic』。そして幻のNJS"From the Outside"。

リリースされずに消えた幻のニュー・ジャック・スウィング"From the Outside"
New Editionのメンバーとしてデビューし、ソロ転向後も絶大な人気を集めたBobby Brown。
'80年代後期から大流行したニュー・ジャック・スウィングを取り入れた"Every Little Step"、"My Prerogative"などをヒットさせ、当時のシーンの中心に君臨していたR&Bキング。
そんなBobby Brownは、'86年にアルバム『King of Stage』でデビューし、'88年に発表したセカンド・アルバム『Don't Be Cruel』が全米アルバム・チャート1位を記録し大ブレイク。
『Don't Be Cruel』の成功後、プライヴェートではWhitney Houstonと結婚するなど全てを手に入れたBobby Brownが次に発表したアルバムは'92年リリースの『Bobby』ですが、実は『Don't Be Cruel』と『Bobby』のリリースの間に『Mystical Magic』というアルバムをリリースする予定でした。
この『Mystical Magic』に収録される予定だった楽曲が、"From the Outside"という楽曲。
Bobby Brownの過去のプロモーション・ヴィデオで、この曲を一部披露している場面がおさめられていたそうですが、このBobby Brownの未発表曲を歌い直した強者がいます。
それが、自ら「ニュー・ジャック・スウィング・シンガー」と名乗るDerric Gobourne Jr.です。
関連記事: アルバム『Supremacy』でNJSを完璧に再現したDerric Gobourne Jr.。しかもこの人、まだ19歳。
Derric Gobourne Jr. (デリック・ゴボーン・ジュニア)
From the Outside
もう1つの未発表曲"Tap Into My Heart"
"My Prerogative"タイプの攻撃的なニュー・ジャック・スウィングで、いかにもBobby Brownらしい雰囲気の1曲でしたが、アルバム『Mystical Magic』は'91年にリリース予定だったとのこと。
当時、Bobby Brownはアルバム『Don't Be Cruel』のワールド・ツアーを行なっていた時期で、日本でもライヴが行われていました。
当時のインタビューで「日本のファンはバラードの時でも立ち上がって聴いてくれる。お金を払った分だけ楽しもうとするし、まるで僕を本当の家族のように扱ってくれるんだ」と日本のファンを大絶賛。
多忙を極めていたBobby Brownでしたが、同時にステージ上で生行為をシミュレートしたことが問題視され、トラブルに起こしていた時期。
結局アルバム『Mystical Magic』が発表されることなく、プロジェクトは頓挫。
残念な結果となってしまった『Mystical Magic』に収録される予定あったもう1つのニュー・ジャック・スウィングが"Tap Into My Heart"という楽曲で、この曲は1990年の「MTV Video Music Awards」にて披露されました。
Bobby Brown (ボビー・ブラウン)
Tap Into My Heart
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