BOBBY BROWN|"My Prerogative"のレコーディング時、テディ・ライリーと「ある事」で衝突していた。
- R&B SOURCE

- 8月8日
- 読了時間: 5分
更新日:8月10日

全米シングル・チャートを唯一制した"My Prerogative"
New Edition脱退後のBobby Brownが、真のスターへと駆け上がるきっかけとなったアルバム『Don't Be Cruel』は、BabyfaceとL.A. Reidをメイン・プロデューサーに迎え、“Every Little Step”、“Roni”、“Rock Wit’cha”などの名曲を収録した、R&B史に残る傑作。
そしてこのアルバムの中で最もインパクトの強かった楽曲の1つが、ニュー・ジャック・スウィング生みの親Teddy Rileyが手がけた"My Prerogative"で、直接的なディス・ソングではないものの、歌詞の内容から、New Edition時代のグループ内での不満や、自分らしくいられなかった環境に対する不満など、「解雇されたNew Editionに対する本音を歌ったのでは?」と推測できる1曲。
「『お前はイカれてる』って言われるけど、そんなの気にしない。
それが俺のやり方なんだ。
『お前は下品だ』って言われても、どうだっていい。
女と遊ぶのが俺の生き方さ。
『なんでそんなに本音で生きられるんだ?』って聞かれるけど、連中は俺のことなんてわかっちゃいない。
必死になって成功しようとしてる俺のことをな。
そんなに前のことじゃない、この闘いに勝つ前の話だ。
みんな俺のことをあれこれ言ってる。
俺のことなんて放っておけよ。
誰かの許可なんていらない、自分で決める。
それが俺のやり方だ」
破天荒なBobby Brownらしい攻撃的な歌詞、そして当時のR&Bとしては革新的なド派手なスウィング・ビートが見事にハマり、Bobby Brownの人気を急速に押し上げた"My Proregative"。
Bobby Brown|My Prerogative
Apple Music: https://apple.co/3B7imFf
当初、この曲が含まれていない状態で「Don't Be Cruel」のレコーディング・セッションを終えていたようで、しかし何かが欠けていると感じたBobby Brownは、当時の様子を「The Hour」のインタビューで次のようにコメント。
「アルバムには力強くアグレッシブな曲が欠けていると感じたから、『ニューヨーク以上に良い場所はない』と思った」

そして米ニューヨークへ向かったBobby Brownは、Teddy Rileyの元を訪ね、この曲を制作することに。
この時の様子を、Teddy Rileyは「Songwriter Universe」のインタビューで次のように回想。
「この曲の功績をすべて自分のものにはできないな。あの曲の歌詞のほとんどを書いたのは、俺の兄貴分であるAaron Hallなんだ。俺は曲とフックを作った。そしてBobbyが加わった時に、彼自身のものにするためにいくつかの言葉を加えてくれたんだ。Bobbyは俺のところにやってきて、俺とAaron, そしてBobbyの3人で作業に取りかかった。俺はすでにビートを作り終えていて、それを聴いたBobbyは『うわ、何だよこれ!?』って、かなりテンションが上がってたよ。それで彼が『俺もあるぜ、ちょっと聴いてくれ』って言ってきた。そして彼が思いついたのが、オープニングの"They say I’m crazy, but I really don’t care(『お前はイカれてる』って言われるけど、そんなの気にしない)"という歌い出しで、 それで決まった。そこから先はAaronが引き継いで仕上げていったんだ」

Bobby Brownを熱狂させた"My Prerogative"だったものの、この曲のレコーディング時、Bobby Brownと「ある事」で衝突していたと、Teddy Rileyが「Essence」のインタビューで次のようにコメント。
「"My Prerogative"は、Bobbyと一緒に自宅で作業に取り掛かっていて、その時のBobbyのボーカルはとても良かった。でもスタジオに入った時に、Bobbyが『テノールだけで歌いたい』と言い出した。俺は『この曲はテノールだけじゃキーが高すぎる』って伝えたんだ。そのことが不服だったのか、Bobbyはスタジオから出ていった。『この曲を他の誰かに渡すことだって出来る』と言ったけど、この曲はBobbyの為に作った曲だった」
この時、両者は目を合わせる事も出来ず、Bobby BrownはTeddy Rileyを威嚇するほど険悪なムードだったようで、しかし3時間の休憩後にBobby Brownは再びスタジオへ戻り、Bobby Brownは「もし仕上がりに満足できなかったら自分の思うようにする」という条件付きで、再びレコーディングに取り組んだとのこと。
結果的に、Bobby Brownはレコーディングの仕上がりに満足したようで、続けてTeddy Rileyは当時の想いを次のようにコメント。
「アーティスト に『もっと出来る』って気づかせるには、『彼らが出来ると思っている以上のこと』を押し広げてあげる必要がある」

素行に難のあったBobby Brownを見事にコントロールし、結果で応えたTeddy Rileyの手腕。
そして「何かが欠けている」と直感し、そのピースを埋める1曲でニュー・ジャック・スウィングの一大ムーブメントを巻き起こしたBobby Brownの鋭い嗅覚。
2人の感性が鮮やかに融合し、この"My Proregative"は『Don't Be Cruel』の中で唯一全米シングル・チャートを制することに。
Bobby Brown|Don't Be Creul
Apple Music: https://apple.co/3B7imFf
「Britneyがめちゃくちゃにしたんだ」
"My Prerogative"のリリースから16年後の2004年、ポップ・スターのBritney Spearsがこの曲のカバーを発表。
しかし、当のBobby BrownはBritney Spearsのカバーを認めておらず、元NFL選手のShannon Sharpeがホストを務めるポッドキャスト番組「Club Shay Shay」に出演した際、Bobby Brownは次のようにコメント。
「Britney Spearsはあの曲をめちゃくちゃにしたんだ。Teddyがプロデュースしたんだけど、あのめちゃくちゃさは我慢できなかった。Britneyだから許可したんだけど、Teddyもやってるし、まあ、分かるだろ?でも、めちゃくちゃにされたと感じたんだ」
また、Bobby Brownは自身の楽曲がサンプリングやカバーされる場合、許可を出す前にそれらすべてに耳を通すとのこと。
「最近の若い奴らは何を言うか分からないからな。自分の曲と結びつけてほしくないようなことを言ったりするから」
ちなみに、Britney SpearsによるカバーはTeddy Rileyではなく、Christina Milianの"AM to PM"などを手がけたスウェーデンのプロデューサー・デュオBloodshy & Avantが手がけた楽曲。



























