もともとはGuyが歌う予定だったという、Bobby Brownの「My Prerogative」

更新日:9月10日

Guy用の曲だった「My Prerogative」
New Editionを脱退したBobby Brownが、ソロ・アーティストとして真のスターへと駆け上がるきっかけとなったアルバム『Don’t Be Cruel』
BabyfaceとL.A. Reidをメイン・プロデューサーに迎え、「Every Little Step」「Roni」「Rock Wit’cha」などの名曲を収録した、R&B史に残る傑作。
そして、このアルバムの中でも特に強烈なインパクトを放った楽曲のひとつが、Teddy Rileyがプロデュースを手掛けた「My Prerogative」
直接的なディス・ソングではないものの、「自分の人生は自分で決める」という歌詞の内容から、New Editionを脱退したBobby自身の心情と重ねて語られることも多い楽曲。
「みんな俺のことを好き勝手に言ってるけど、どうして俺を放っておいてくれないんだ?」
『お前はイカれてる』って言われるけど、そんなの気にしない。
それが俺のやり方なんだ。
『お前は下品だ』って言われても、どうだっていい。
女と遊ぶのが俺の生き方さ。
『なんでそんなに本音で生きられるんだ?』って聞かれるけど、連中は俺のことなんてわかっちゃいない。
必死になって成功しようとしてる俺のことをな。
そんなに前のことじゃない、この闘いに勝つ前の話だ。
みんな俺のことをあれこれ言ってる。
俺のことなんて放っておけよ。
誰かの許可なんていらない、自分で決める。
それが俺のやり方だ」
Bobby Brown - My Prerogative
当初、この曲が含まれていない状態で「Don't Be Cruel」のレコーディング・セッションを終え、しかし、Bobbyは何かが欠けていると感じたという。
当時の様子を「The Hour」のインタビューで次のように回想。
「アルバムには力強くアグレッシブな曲が欠けていると感じたから、『ニューヨーク以上に良い場所はない』と思った」

そしてニューヨークへ向かったBobbyは、Teddyの元を訪ね、この曲を制作することに。
実は、この曲はもともとBobby用の曲ではなく、Guyのために用意された楽曲だったとのこと。
「My Prerogative」を制作した時の様子を、Teddyは「VIBE」のインタビューで次のようにコメント。
「実は'My Prerogative'が、もともとはGuyのために書かれた曲だったってことを知らない人は多いんだ。俺たちは'My Prerogative'を書いて、それをマネージャーのGene Griffinに渡した。彼がGuyのアルバム制作をいったん止めて、この曲をアルバムに入れてくれると思っていたんだ。でも、もう遅すぎた。アルバムはすでにマスタリングまで終わっていたからね。そこで、Bobbyにこの曲を渡すことにした。この曲が『Don’t Be Cruel』を次のレベルへと押し上げたんだ。Bobbyをスーパースターにした曲だった。'My Prerogative'を作っていた頃のことを覚えてるよ。ある日、Bobbyが俺の住んでいた公営住宅までやって来たんだ。俺たちの住んでいた団地は、誰でも気軽に入って歩いていけるような場所じゃなかった。普通なら、周りから絡まれたり、ちょっかいを出されたりするからね。でも、Bobbyはそんなことを気にせず、堂々と入ってきたんだよ。彼を見つけた瞬間、周りにはサインを求める人たちが一気に集まってきた。まるで人だかりの大群さ。Bobbyはみんなに『Teddy Rileyを探してるんだ』って言っていた。すると、みんな俺の住んでいた建物を指差したんだ。そのとき、俺とAaron Hallがそこにいて、曲を書いていた。するとAaronが、あのフックを歌い始めたんだ。『みんな俺のことを好き勝手に言ってるけど、どうして俺を放っておいてくれないんだ?』ってね。俺は『これだ!』って思った。あの歌詞は全部Aaronが書いた言葉なんだ。だって、歌詞にある通り、彼自身が本当にクレイジーな奴だったし、Bobbyもね(笑)。だから、今でもあの2人は仲がいいんだよ」
また、「Songwriter Universe」のインタビューで、Teddyは当時の状況を次のように回想。
「この曲の功績をすべて自分のものにはできないな。あの曲の歌詞のほとんどを書いたのは、俺の兄貴分であるAaron Hallなんだ。俺は曲とフックを作った。そしてBobbyが加わった時に、彼自身のものにするためにいくつかの言葉を加えてくれたんだ。俺とAaron、そしてBobbyの3人で作業に取りかかった。俺はすでにビートを作り終えていて、それを聴いたBobbyは『うわ、何だよこれ!?』って、かなりテンションが上がってたよ。それで彼が『俺もあるぜ、ちょっと聴いてくれ』って言ってきた。そして彼が思いついたのが、オープニングの『They say I’m crazy, but I really don’t care』という歌い出しで、 それで決まった。そこから先はAaronが引き継いで仕上げていったんだ」

しかし、Bobbyを熱狂させた「My Prerogative」だったものの、この曲のレコーディング時、BobbyとTeddy「ある事」で衝突したという。
Teddyは、「Essence」のインタビューで次のように言及。
「'My Prerogative'は、Bobbyと一緒に自宅で作業に取り掛かっていて、その時のBobbyのボーカルはとても良かった。でもスタジオに入った時に、Bobbyが『テノールだけで歌いたい』と言い出した。俺は『この曲はテノールだけじゃキーが高すぎる』って伝えたんだ。そのことが不服だったのか、Bobbyはスタジオから出ていった。『この曲を他の誰かに渡すことだって出来る』と言ったけど、この曲はBobbyの為の曲だった」
この時、両者は目を合わせる事も出来ず、BobbyはTeddyを威嚇するほど険悪なムードだったとのこと。
その後、3時間の休憩をとったBobbyは再びスタジオへ戻り、Bobbyの「もし仕上がりに満足できなかったら自分の思うようにする」という条件付きで、レコーディングを再開。
結果的に、Bobbyはレコーディングの仕上がりに満足したようで、Teddyは当時の心境を次のようにコメント。
「アーティスト に『もっと出来る』って気づかせるには、『彼らが出来ると思っている以上のこと』を押し広げてあげる必要がある」

素行に難のあったBobbyを見事にコントロールし、結果で応えたTeddyの手腕。
そして「何かが欠けている」と直感し、そのピースを埋める1曲でニュー・ジャック・スウィングの一大ムーブメントを巻き起こしたBobbyの鋭い嗅覚。
2人の感性が鮮やかに融合し、この「My Proregative」は、Bobbyのキャリアで唯一全米シングル・チャート1位を獲得する大ヒットを記録。
Bobby Brown - Don't Be Creul
「Britneyがめちゃくちゃにしたんだ」
「My Prerogative」のリリースから16年後の2004年。
ポップ・スターのBritney Spearsがこの曲のカバーを発表。
しかし、当のBobby BrownはBritneyのカバーを認めておらず、元NFL選手のShannon Sharpeがホストを務めるポッドキャスト番組「Club Shay Shay」に出演した際、Bobbyは次のようにコメント。
「Britney Spearsはあの曲をダメにしたんだ。あのめちゃくちゃさは我慢できなかった。Britneyだから許可したんだけど、Teddyもやってるし、まあ、分かるだろ?でも、めちゃくちゃにされたと感じたんだ」
Bobbyは、自身の楽曲がサンプリングやカバーされる場合、許可を出す前にそれらすべてに耳を通すとのこと。
「最近の若い奴らは何を言うか分からないからな。自分の曲と結びつけてほしくないようなことを言ったりするから」
ちなみに、BritneyによるカバーはTeddy Rileyではなく、Christina Milian「AM to PM」などを手がけたスウェーデンのプロデューサー・デュオBloodshy & Avantが手がけた楽曲。




































