BOBBY BROWN|実はアッシャーがバックボーカルで参加していた"Something In Common"。
- R&B SOURCE

- 8月7日
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更新日:8月19日

「俺のやり方でWhitneyの魅力を引き出したかったんだ」
'80年代に「R&Bのキング」として頂点を極めたものの、プライベートの素行の悪さから「バッド・ボーイ」としてのイメージが強かったBobby Brown。
そして、そのあまりにも美しい歌声で、人種や世代を超えて万人を虜にした世紀の歌姫Whitney Houston。
育ちもアーティスト像も全く異なる2人が、世間を驚かせる電撃結婚を果たしたのは、'92年7月のこと。
そしてこの2人が共演した唯一の楽曲として知られるのが、お互いを深く理解し合い、心の底からつながっている「特別な絆」を歌った、愛のデュエット曲"Something In Common"。
「かつては間違いもしたけれど、今ではそれが何のためだったか、わかるようになった。
これまでの経験で気づいたんだ。
君に見えているものや感じていることが、いつも同じだとは限らないってことに。
『手の中の1羽は、藪の中の2羽に勝る』っていうけど、君をひと目見た瞬間に、それだけで十分だった。
もしかして、心の中でお互いを想っているのは、僕たちだけなんじゃないかな?
この愛には、何か特別なものがあるんだ。
俺たちには、どこか似ているところがあるよね。
君は僕にとって本当に特別な存在だ、それがはっきりわかるはずさ」
Bobby Brown|Something In Common feat. Whitney Houston
Apple Music: https://apple.co/45LALbR
この曲は、2人が結婚した約1ヶ月後、'92年8月に発表されたBobby Brownの通算3枚目のスタジオ・アルバム『Bobby』に収録され、ニュー・ジャック・スウィングを発案したTeddy Rileyがプロデュースを担当。

この世紀のデュエット曲"Something In Common"がどのような経緯で誕生したのか。
Teddy Rileyは、まだこの曲の制作中だった'92年当時のインタビューで、次のようにコメント。
「BobbyとWhitneyのデュエットは、俺のアイデアなんだ。 2人はすごく仲が良いから、Bobby自身もWhitneyに直接電話していた。でも実際にBobbyは、彼女と一緒に歌うことに対して、しばらく考える時間が必要だったみたいだね。そしてある日、Whitneyがたまたまスタジオに電話をかけてきたんだ。エンジニアの1人と話していたんだけど、その後にBobbyと電話を代わって、彼が言ったんだ。『今曲を作ってるんだけど、君に歌ってほしいと思ってるんだ』って。すると彼女は『電話で聴かせて』と言ってきた。そして彼女は、聴いた瞬間にこの曲を気に入ってくれたよ。だから彼女が仮歌を入れてくれるまで、この曲の制作は保留にして待っていたんだよ。
そして俺は自分流のやり方でWhitneyの魅力をを引き出したかったんだ。これまで彼女はいろんなスタイルで歌わされてきたけど、俺は彼女をニュー・ジャック・スウィング流に使いたかった。彼女の作品って、どれも音が広がっていて綺麗に整ってるだろ。でも俺は、もっとストリートっぽい感じで使いたかったんだ。声はちゃんと温かみのあるものにしたいけど、乾いた雰囲気にはしない。リバーブは少しかけるけど、彼女の声は前に出てくる。はっきり聴こえるようにするつもりだよ」

Teddy Rileyに加え、彼と一緒にMichael Jacksonの"Remember The Time"を手がけたBernard Belle, そして後にTeddy Rileyと共にBlackstreetのメンバーとして活動するMark Middletonがソングライティングを担当したこの曲は、アルバム『Bobby』のリリースから1年以上経過した'93年12月に、同アルバムからの最後のシングル曲になったものの、米国では正規の商業シングルとしてリリースされなかったため、全米シングル・チャートおよび全米R&Bシングル・チャートにおいて、トップ100入りを果たせず。
Bobby Brown|Bobby
Apple Music: https://apple.co/45LALbR
この曲が米国でシングル・リリースされなかった理由については、先にシングルカットされた"Humpin' Around"、"Good Enough"、"Get Away"などのセールスが好調だったことから、「次の一手に対して慎重になった」ということなどが推測できる一方で、おそらく最大の理由は「Whitney Houstonの存在」
アルバム『Bobby』の発売から3ヶ月後の'92年11月に、Whitney Houstonは後に彼女のキャリア最大のヒットとなる"I Will Always Love You"の超大型リリースを控えており、そうした状況のなかで、ニュー・ジャック・スウィングを取り入れた"Something in Common"は、彼女の大衆的で洗練されたポップ/バラード路線とはやや異なる印象を与える可能性があり、イメージ戦略を重視したかったWhitney Houstonのチームが、米国でのシングル・リリースに踏み切らなかったのではないかと推測。
実はUsherがバックボーカルで参加していたという"Something In Common"
そしてこの"Something In Common"には、実はUsherがバックボーカルで参加していたとのこと。
Usherは'94年、BabyfaceとL.A. Reidのレーベル[LaFace Records]からデビュー。

きっかけは、地元の米ジョージア州アトランタで開催されたタレント・ショーへの出演で、そこで彼の才能にいち早く気づいたのが、当時Bobby Brownのボディガードを務めていたA.J. Alexander。
その後、Aaliyahも出演したことで知られる、当時のスター発掘番組「Star Search」に出演するUsherを見に、A.J. Alexanderは[LaFace Records]のA&RだったBryant Reid(L.A. Reidの弟)をその会場に招待し、その後彼が兄のL.A. ReidにUsherを紹介し、そして[LaFace Records]と契約したという流れ。
このような経緯をたどったUsherは、[LaFace Records]と契約した当初から、すでにBobby Brownと面識があったと考えられ、そして実際に契約を結んだ直後にL.A. Reidから連絡を受け、"Something In Common"のバックボーカルを依頼されたとのこと(L.A. Reidは"Something In Common"のリミックスを担当)。
当時の様子を、Usherは「DuJour」の記事で次のようにコメント。
「ちょうどL.A. Reidと契約を結んだばかりだったんだけど、彼に自宅のスタジオに呼ばれて、"Something In Common"のバックボーカルを歌ってくれって頼まれたんだ。コーラスの人たちが帰ったあとに、Whitneyが俺をブースに呼んでくれて、『あなたの時間よ』っていう感じで指導してくれたんだ」

デビュー前にビッグ・カップルのデュエット曲でバックボーカルを担当するという、まさにUsherらしいスター性を感じさせるエピソードながら、Usherの名前はクレジットには載らず。
それでもUsherは、「WhitneyとBobbyと一緒にいると、いつも自分が歓迎されていると感じさせてくれたんだ」と、当時を回想。
ちなみにUsherがレコーディングを行ったのは、当時L.A. Reidが所有していた自宅。
L.A. Reidはその一室を、[LaFace Records]のためのレコーディング・スタジオに改造しており、そしてUsherはこの家を'99年に購入し(2018年に売却)、このスタジオについて次のようにコメント。
「スタジオに入るたびに、あのときのこと、そしてこの部屋に刻まれた歴史を思い出すよ」
































