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BLACKSTREET|メンバー全員に嫌われた"No Diggity"は、元々ドクター・ドレーが2パック用に作った楽曲?

  • 執筆者の写真: R&B SOURCE
    R&B SOURCE
  • 7月27日
  • 読了時間: 8分

Blackstreetのメンバー全員に嫌われた"No Diggity"は、元々Dr. Dreが2Pac用に作った楽曲?

Teddy Riley以外の全メンバーが嫌っていた"No Diggity"


Teddy RileyとChauncey Hannibalによって結成されたBlackstreetは、数々の実力派ボーカリスト達を招き入れたR&B史に残るオールスター・ユニット。


Michael Jacksonによって書かれた"Joy"、Myaと共演した"Take Me There feat. Mase, Blinky Blink"など、数々の名曲を残してきた残してきたBlackstreetの楽曲の中で、最も大きなヒットを記録したのが、全米シングル・チャート1位を達成した"No Digitty feat. Dr. Dre, Queen Pen"。


Blackstreet|No Diggity feat. Dr. Dre, Queen Pen

「No Diggity」とは、「No Doubt (間違いない)」と同じような意味合いで使われるスラングで、歌詞は女性を口説きにかかるナンパ・ソング。


BlackstreetとDr. Dreという世紀のコラボレーションも功を奏し、ジャンルの垣根を超えて大ヒットした"No Diggity"だったものの、実はTeddy Riley以外のBlackstreet全メンバーがこの曲を嫌っていたと、Teddy Rileyが「SoulCulture」のインタビューでコメント。

「メンバー全員が"No Diggity"を好きじゃなかった。みんなこの曲がヒットするか半信半疑だったから、俺がファースト・バースを歌った。結果的にヒットしたから、彼らは俺が言うことを信頼している。その後は、誰もがファースト・バースを歌いたがったよ」
Teddy Riley
Teddy Riley

ちなみに、"No Diggity"を制作中にこの音源をMichael Jacksonに送って聴かせたところ、Michael Jacksonはこの曲はただのヒットじゃない。スマッシュ・ヒット(大当たり)だと絶賛。


'96年のビルボード年間シングル・チャートでも、23位にランクインするほどの大ヒット曲となった"No Diggity"。


実は、当初Teddy Rileyはこの曲をBlackstreetではなく、Guyの楽曲としてリリースを考えていたとのこと。


Billboard Year-End Hot 100 singles of 1997

1. Candle in the Wind 1997" / Something About the Way You Look Tonight - Elton John

21. The Freshmen - The Verve Pipe

22. I Want You - Savage Garden

23. No Diggity - Blackstreet feat Dr. Dre, Queen Pen

24. I Belong to You (Every Time I See Your Face) - Rome

25. Hypnotize - The Notorious B.I.G.

26. Every Time I Close My Eyes - Babyface

27. In My Bed - Dru Hill

28. Say You'll Be There - Spice Girls

29. Do You Know (What It Takes) - Robyn

30. 4 Seasons of Loneliness - Boyz II Men

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Aaron Hallも"No Diggity"を拒否


"No Diggity"は、Teddy RileyとWilliam "Skylz" Stewartの2人がプロデュースを担当。


この曲は、Bill Withersの"Grandma's Hans"をサンプリングした楽曲としても知られており、William "Skylz" Stewartがスタジオで"Grandma's Hans"を使って何かをしようとしていた時、たまたまその場に来たTeddy Rileyがそれを耳にしたことがきっかけで、"No Diggity"のトラックが生まれることに。


この時の様子を、Teddy Rileyは「Vibe」のインタビューにて次のようにコメント。

「"No Diggity"のアイデアは、俺とWilliam "Skylz" Stewartが考えた。彼がスタジオで"Grandma's Hans"のサンプリングをMPCで作業していて、『このサンプリングを俺に渡してくれないか?』と彼に頼んだんだ。そして俺はこのサンプリングを部屋に持ち帰り、Logicに入れてトラックを作った。トラックが完成した後に彼がやってきて、『このレコードは大ヒットするよ。でも何か加えることはあるか?』って言ってきた。それで、俺は彼に“No Diggity”の歌メロを渡したんだ」

Bill Withers|Grandma's Hands

しかし、完成された"No Diggity"のトラックがあまりにもヒップホップ寄りだった為か、記述の通りBlackstreetのメンバー全員がこの曲を拒んだだけではなく、実は当初この曲は当時活動休止状態だったGuyに歌わせようと考えていたものの、メンバーのAaron Hallがこのオファーを拒否し、最終的にBlackstreetが歌うという形に。


ちなみにTeddy Rileyによると、"No Diggity"のリリース元[Interscope Records]も、当初この曲がヒットするとは全く思っていなかったようで、Teddy Rileyの親友Heavy DとDr. Dreが、レーベルのトップJimmy Iovineを説得し、なんとかリリースする方向に話を進めたとのこと。

Guy
Guy


"No Diggity"のビートはDr. Dreが作り、2Pacに提供される予定だった?


Blackstreetの全楽曲を振り返ってみて、"No Diggity"が他を凌駕するほど圧倒的な結果を残せた要因の1つは、R&Bという1ジャンルを飛び越えてクロスオーバー出来たことが大きく、その最大のファクターと言えば、なんと言っても「客演にDr. Dreを迎えた」という点。


当時、Dr. DreはSuge Knightと共に立ち上げたレーベル[Death Row Records]を去り、[Interscope Records]の協力の元、自身のレーベル[Aftermath Entertainment]を設立した時期。


Teddy Rileyは「HipHopDX」のインタビューにて次のようにコメント。

「Dreが[Death Row Records]を去ったから、俺にオファーが来たんだと思う。だから彼にも"No Diggity"に参加してもらった」

ちなみに、Teddy RileyはJimmy IovineからDr. DreがMVに出たがっていると言われたようで、曲のバースをDr. Dreが歌ってくれるなら許可すると伝え、Dr. Dreが曲の冒頭でラップすることに。


「R&BのキングTeddy Riley」と、「ヒップホップのキングDr. Dre」の共演が話題にならないわけがなく、関係者達の予想に反して歴史的大ヒットを記録した"No Diggity"。


その一方で、「実はこの曲のビートはTeddy Rileyではなく、"Dr. Dreが作ったのでは?」という説も。

Dr. Dre
Dr. Dre

記述の通り、"No Diggity"はTeddy RileyとWilliam "Skylz" Stewartの2人がプロデュースを担当した楽曲ながら、Joe Cockerの"Woman to Woman"を使用した"California Love"や、Charles Aznavourの”Parce Que Tu Crois"を使用した"What’s The Difference"のように、どちらかというと曲調はDr. Dreのスタイルそのもの。

もちろん、"No Diggity"の制作段階でDr. Dreの参加がおおよそ決まっていたのであれば、Teddy RileyらはDr. Dreのスタイルに寄せたと言えばそれまでなものの、Dr. Dreは自身がプロデュースしない楽曲でラップをすることは珍しく、それがR&Bアーティストの楽曲ともなれば更に異例のこと。


これはあくまで推測の域を出ないものの、Dr. Dreが[Death Row Records]在籍時に"No Diggity"のビートを制作し、「当初2Pacのアルバム『All Eyez On Me』に収録する予定だったのはでは?」という話もあったとか、なかったとか。


しかし、Dr. Dreは『All Eyez On Me』のリリース前に [Death Row Records]を去り、"No Diggity"のトラックの権利を保持していたDr. Dreが「この曲をTeddy Rileyに売ったのでは?」という説も。


事実、Dr. Dreはプロデューサーとしてクレジットされていない"No Diggity"でラップを披露しており、「自分がプロデュースしない楽曲ではラップをしない」というこだわりがDr. Dreにとって絶対だと仮定した場合、「実はDr. Dreが"No Diggity"のトラックを手がけた」というも、信憑性が出てくる話。

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Suge Knightからのオファーを断っていたTeddy Riley


'95年8月に米ニューヨークで行われた「The Source Awards」にて、[Death Row Records]のトップSuge Knightが、[Bad Boy Records]のSean Combsを批判した発言が引き金となり、米西海岸ロサンゼルスの[Death Row Records]、そして米東海岸ニューヨークの[Bad Boy Records]を中心に勃発した「ヒップホップ東西抗争」


ヒップホップ・シーンが大荒れになっていた最中、[Death Row Records]は2Pacというスーパースターを獲得したものの、Suge KnightはDr. Dreが抜けた穴の補填案を策略。


そこでSuge Knightが考えた案が、Teddy Rileyを[Death Row Records]に招き入れるというアイデア。


当時の様子を、Teddy Rileyは「HipHopDX」のインタビューにて次のようにコメント。

「俺とSugeには共通点がある。それは、俺達のメンターが共通してGene Griffinだったということ(Teddy Rileyのマネージャー兼ビジネス・パートナー)。だからギャングスタであるSugeからのオファーは怖くなかった。Sugeは俺とパートナーになりたがっていたけど、俺は彼からのオファーを断った。俺は悪の世界から来た男だけど、もうあの世界には戻らないと決めていた。彼と組むと後戻りしそうな気がしたんだ」
Gene Griffin Teddy Riley
Gene Griffin Teddy Riley

こんな一連のやりとりがあったことを知ってか知らでか、"No Diggity"でTeddy Rileyと共演したDr. Dre。


しかし、Dr. Dreは[Death Row Records]を去り、彼の穴埋めとして声をかけたTeddy Rileyの獲得にも失敗したSuge Knightとしては、彼らのやりとりを見て面白いと思うはずがなく、この出来事に憤慨したSuge Knightは、Dr. Dreに対する報復曲を発表。


それが2Pacの"Toss It Up"。


2Pac|Toss It Up feat. Danny Boy, Aaron Hall, K-Ci & JoJo



「なんで"No Diggity"で2Pacが歌っているんだ?」


「Dreは[Death Row]を去ったな、あばよ。


ここから去ってお前はどこに行くつもりだよ?


ハードコアは上辺だけか?もうお前のラップには誰も耳を貸さないぜ。


すぐに心変わりする奴は、ブラザー達から一番軽蔑されるんだよ」


2Pacが発表した"Toss It Up"はDr. Dreを痛烈に非難する内容で、更にSuge Knightは、Dr. DreとTeddy Rileyへの報復として、当初この"Toss It Up"は"No Diggity"のビートをほぼ丸パクリした形で制作され、Dr. Dreらの許可を得ることなく、この曲をラジオでオンエアしてしまうことに。

そして、この曲をラジオから耳にしてしまったのがTeddy Rileyで、"No Diggity"のリリース元である[Interscope Records]のトップJimmy Iovineに、すぐに電話をしたとのこと。

「おい、この曲は何だよ?ラジオで"No Diggity"をサンプリングした曲が流れてきて、しかもなんで2Pacが歌っているんだ。Jimmy, あんたがこの曲に2Pacを入れたのか?」

Jimmy Iovineも、"No Diggity"が無断でサンプリングされた事実を知らず、しかしこの電話の直後、"No Diggity"をパクった"Toss It Up"の初期バージョンがラジオから完全に消去され、Teddy RileyはあれはJimmyの力を知った瞬間だったと回想。


Teddy Rileyとしては、無断で"No Diggity"が使用されたことに対して不満だったのは想像に難くないものの、そのこと以上に不満だったと思われるのは、この"Toss It Up"にAaron Hallがゲスト・ボーカルで参加していたこと。

Damion Hall Teddy Riley Aaron Hall
Damion Hall Teddy Riley Aaron Hall

既述の通り、Teddy Rileyは当初"No Diggity"をGuyの楽曲として発表しようとしたものの、このアイデアを拒否したのがAaron Hallだったことから、Aaron Hallの寝返りに対して、Teddy Rileyは不信感を募らせたことでしょう。


結果的に、"Toss It Up"はBlackstreet側の訴えによりビートの作り替えを余儀なくされ、2Pac没後にMakaveli名義でシングル・リリース。


"No Diggity"のトラックがきっかけで勃発したバチバチのビーフ。


そしてこの2曲の結果を振り返ると、第40回グラミー賞「Best R&B Performance By A Duo Or Group With Vocal」を受賞した"No Diggity"の圧勝という形で終わることに。


No Diggity

全米シングル・チャート

1位


全米R&Bシングル・チャート

1位


'97年ビルボード年間シングル・チャート

23位


第40回グラミー賞

「Best R&B Performance By A Duo Or Group With Vocal」受賞


Toss It Up

全米シングル・チャート

チャート外


全米ヒップホップ・シングル・チャート

最高13位

Blacksrtreet
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