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  • 執筆者の写真R&B SOURCE編集部

Chris Brown|レーベル役員の「あること」が理由で、[Def Jam]との契約を断ったクリス・ブラウン。


[Def Jam]との契約を断ったChris Brown


若干16歳という若さで[Jive Records]からアルバム『Chris Brown』でデビューしたChris Brown。


Chris Brown

Chris Brown

彼が11歳の時、サマー・キャンプで開催されたタレント・ショーにてSisqo"Thong Song"を披露して優勝し、この出来事がきっかけでミュージシャンを目指すことを考え始めたようで、Chris Brownは元NFLプレイヤーShannon Sharpeとのインタビューで次のようにコメント。

「キャンプのリーダーたちは笑っていたけど、そこにいたみんなが熱狂していた。だから俺は『これが俺のできることなんじゃないか』と思った」

その後、母親の前でUsherの"My Way"を披露した時、そのアーティストとしての高い才能を確信し、レコード契約の機会を探し始めることに。


Thong Song

Sisqo

その後、Chris Brownが13歳の時、彼の父が働くガソリンスタンドで踊っていたところを、地元の音楽プロダクション[Hitmission Records]の関係者が偶然発見し、その場でスカウトされたというのは有名なエピソード。


当時、[Hitmission Records]はChris Brownを「C. Sizzle」という名前で売り込むことにし、彼のデモ・パッケージを米ニューヨークのコンタクト先にアプローチ。


そしてこのデモ・パッケージに収録されていた、当時のChris Brownが歌う"Whose Girl Is That?"という楽曲が、[Def Jam]のA&R部門の責任者を務めていたTina Davisの耳にとまることに。

Tina Davisといえば、Ne-Yoの才能をいち早く見抜いたことでも知られるやり手A&Rで、Tina DavisのオーディションをパスしたChris Brownは、すぐさま[Island Def Jam Group]のトップL.A. Reidに紹介され、L.A. Reidはその日の内に契約することを提案するも、なんとChris Brownはこのオファーを断ったとのこと。


Chris Brownにインタビューを行ったShannon Sharpeは、[Def Jam]からの契約提案を受けて、それを断ったの?一体何故?数字のせい?これは君のチャンスだったはずだ。ただの音楽ではない、だって[Def Jam]だよ?と問いかけ、Chris Brownは次のようにコメント。

「レーベルの役員の男性が、俺の母親と話したがらなかったんだ。今でも彼を愛しているから、俺は彼のことを暴露することは絶対にないよ。この時、俺は14歳だったと思うけど、俺は単にこの契約を母親に理解してもらいたかった。俺はママっ子だったから、彼らは俺の母親と話さなければならないと思っていた。だから、役員の態度を見て『俺はいいや』って言ったんだ」

結局、[Def Jam]との契約交渉は約2ヶ月間行われたものの、企業合併を機にTina Davisが職を失ったタイミングで交渉は完全に決裂。


その後、Chris BrownはTina Davisにマネージャーになって欲しいと懇願し、このオファーを快諾したTina Davisは複数のレーベルにChris Brownを売り込むことに。


当時、Chris Brownの才能に対してTina Davisは次のようにコメント

「Chrisには本物の才能があると分かっていたわ。だから、私はただその一部でありたいと思っていたの」


「[Jive Records]を選んだ理由は、彼らがポップ市場で成功していたからさ」


Tina Davisは、Chris Brownを[Jive Records][J Records][Warner Music]などにプロモートしていった中、彼の才能の高さを確信したのが、当時[Jive Records]に勤めていたMark Pitts。


彼は、'90年代にSean Comba主宰のレーベル[Bad Boy Records]でThe Notorious B.I.G.やFaith Evansらのマネージメントを担当し、後に[RCA Records]の社長も務めた経歴を持つエグゼクティブで、Chris Brownを初めて見た時の印象を「HitQuarters」のインタビューにて次のようにコメント。

「Chris Brownが登場するちょっとした安っぽいビデオを見たんだけど、俺は彼の可能性を感じたよ。彼の笑顔、彼の声、俺はChris Brownのビジネスに参加したいと思った。彼の全ての曲が好きだったわけじゃないけど、それは大した問題じゃなかった。彼の声は好きだし、何より彼が歌えることを知っていたし、俺はレコードを作る方法も知っていたからね」

そして、Chris Brown本人は最終的に[Jive Records]を選んだ理由を、「FSGATE」のインタビューにて次のようにコメント。

「[Jive Records]を選んだ理由は、彼らが若手アーティスト達と共にポップ市場で成功していたからさ。俺はアフリカ系アメリカ人のオーディエンスを確保できることは分かっていたけど、[Jive Records]はポップスの分野にも強かったし、そしてそのキャリアも長さも優れていた」

当時の[Jive Records]には、R. KellyやToo $hortと言ったR&B/ヒップホップ・アーティストのみならず、Britney Spears, Justin Timberlakeといったポップ・スター達も所属。


Chris Brownはより広い聴衆へとアピールすることを狙い、[Jive Records]と契約することを決めるも、元々ラッパー志望だったChris Brownは、当初「歌とラップの二刀流」で勝負したかったようで、しかし「R&Bシンガーがラップをするスタイルはまだ受け入れられていない」と[Jive Records]から説得され、結果的には歌一本で勝負することに。


そしてChris Brownは、2005年6月30日にデビュー・シングル"Run It! feat. Juelz Santana"をリリースし、いきなり全米シングル・チャート1位という快挙を達成。


当時同チャートで1位を記録していたのが、実に10週連続で首位をキープしていたKanye Westの"Gold Digger"で、Kanye Westを抜いて見事同チャートの首位を奪った"Run It! feat. Juelz Santana"は、結果的に5週連続1位という大ヒットを記録。


ちなみに、Chris Brownは[Def Jam]とリンクする前に、Sean Combsの[Bad Boy Records]から契約を拒否されていたことを明かし、ポッドキャスト番組「Drink Champ」のホストであるラッパーN.O.R.E.は、もしダンスを披露していたら、彼は絶対にサインしていただろうねと冗談交じりにコメント。


Run It! feat. Juelz Santana

Chris Brown



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