レーベル役員の「あること」が理由で、[Def Jam]との契約を断ったChris Brown。
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- 5 日前
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![[Def Jam]と契約交渉を行なっていたデビュー前のChris Brown](https://static.wixstatic.com/media/8efdae_b8ea16a0b7b64c309b878d01d5346f26~mv2.jpg/v1/fill/w_980,h_490,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/8efdae_b8ea16a0b7b64c309b878d01d5346f26~mv2.jpg)
[Def Jam]との契約を断ったChris Brown
若干16歳という若さで[Jive Records]からアルバム『Chris Brown』でデビューしたChris Brown(クリス・ブラウン)。
Chris Brown - Chris Brown
彼が11歳の時、サマー・キャンプで開催されたタレント・ショーでSisqo"Thong Song"を披露して優勝。
この出来事がきっかけでミュージシャンを目指すことを考え始めたというChrisは、元NFLプレイヤーShannon Sharpeとのインタビューで当時の心境を次のようにコメント。
「キャンプのリーダーたちは笑っていたけど、そこにいたみんなが熱狂していた。だから俺は『これが俺のできることなんじゃないか』と思った」
その後、母親Joyce Hawkins(ジョイス・ホーキンス)の前でUsherの"My Way"を披露した際、そのアーティストとしての高い才能を確信し、レコード契約の機会を探し始めることに。

そしてChrisが13歳の時、彼の父が働くガソリンスタンドで踊っていたところを、地元の音楽プロダクション[Hitmission Records]の関係者が偶然発見し、その場でスカウトされたというのは有名なエピソード。
当時、[Hitmission Records]はChrisを「C. Sizzle」という名前で売り込むことにし、彼のデモ・パッケージを米ニューヨークのコンタクト先にアプローチ。
そしてこのデモに収録されていた"Whose Girl Is That?"という楽曲が、[Def Jam]のA&R部門の責任者を務めていたTina Davis(ティナ・デイヴィス)の耳にとまり、事態が一変。
Tinaといえば、Ne-Yoの才能をいち早く見抜いたことでも知られる敏腕A&Rで、彼女のオーディションをパスしたChrisは、すぐさま[Island Def Jam Group]のトップL.A. Reid(L.A. リード)に紹介されることに。

L.A. Reidはその日の内に契約することを提案したものの、なんとChrisはこのオファーを断ったという。
Chrisにインタビューを行ったShannonは、「[Def Jam]からの契約提案を受けて、それを断ったの?一体何故?数字のせい?これは君のチャンスだったはずだ。ただの音楽ではない、だって[Def Jam]だよ?」と問いかけ、彼は次のように回想。
「レーベルの役員の男性が、俺の母親(Joyce)と話したがらなかったんだ。今でも彼を愛しているから、俺は彼のことを暴露することは絶対にないよ。この時、俺は14歳だったと思うけど、俺は単にこの契約を母親に理解してもらいたかった。俺はママっ子だったから、彼らは俺の母親と話さなければならないと思っていた。だから、役員の態度を見て『俺はいいや』って言ったんだ」

結局、[Def Jam]との契約交渉は約2ヶ月間行われたものの、企業合併を機にTinaが職を失ったタイミングで交渉は完全に決裂。
その後Chrisは、Tinaにマネージャーになって欲しいと懇願し、このオファーを快諾した彼女は複数のレーベルに彼を売り込むことに。
Tinaは、Chrisの才能に対して次のようにコメント
「Chrisには本物の才能があると分かっていたわ。だから、私はただその一部でありたいと思っていたの」

「[Jive Records]を選んだ理由は、彼らがポップ市場で成功していたからさ」
Tina Davisは、Chris Brownを[Jive Records][J Records][Warner Music]などにプロモートしていった中、彼の才能の高さを確信したのが、当時[Jive Records]に勤めていたMark Pitts(マーク・ピッツ)。
彼は、'90年代にSean Combs(ショーン・コムズ)主宰のレーベル[Bad Boy Records]で、The Notorious B.I.G.やFaith Evansらのマネージメントを担当し、後に[RCA Records]の社長も務めた経歴を持つエグゼクティブ。
Chrisを初めて見た時の印象を、Markは「HitQuarters」のインタビューで次のようにコメント。
「Chris Brownが登場するちょっとした安っぽいビデオを見たんだけど、俺は彼の可能性を感じたよ。彼の笑顔、彼の声、俺はChrisのビジネスに参加したいと思った。彼の全ての曲が好きだったわけじゃないけど、それは大した問題じゃなかった。彼の声は好きだし、何より彼が歌えることを知っていたし、俺はレコードを作る方法も知っていたからね」

そしてChrisは[Jive Records]を選んだ理由を、「FSGATE」のインタビューで次のようにコメント。
「[Jive Records]を選んだ理由は、彼らが若手アーティスト達と共にポップ市場で成功していたからさ。俺はアフリカ系アメリカ人のオーディエンスを確保できることは分かっていたけど、[Jive Records]はポップスの分野にも強かったし、そしてそのキャリアも長さも優れていた」
当時の[Jive Records]には、R. KellyやToo $hortと言ったR&B/ヒップホップ・アーティストのみならず、Britney Spears、Justin Timberlakeといったポップ・スター達も所属。
Chrisはより広い聴衆へとアピールすることを狙い、[Jive Records]と契約することを決断。
しかし、元々ラッパー志望だったChrisは、当初「歌とラップの二刀流」で勝負したかったという。
これに対し[Jive Records]は、「R&Bシンガーがラップをするスタイルはまだ受け入れられていない」と彼を説得し、結果的には歌一本で勝負することに。
そしてChrisは、2005年6月30日にデビュー・シングル"Run It! feat. Juelz Santana"をリリースし、いきなり全米シングル・チャート1位という快挙を達成。
当時同チャートで1位を記録していたのが、10週連続で首位をキープしていたKanye Westの"Gold Digger"で、Kanyeを抜いて見事チャートの首位を奪ったこの曲は、結果的に5週連続1位という大ヒットを記録。
Chris Brown - Run It! feat. Juelz Santana
また、Chrisは[Def Jam]とリンクする以前、[Bad Boy Records]から契約を拒否されていたことを明かしており、ポッドキャスト番組「Drink Champ」のホストであるラッパーN.O.R.E.は、「もしダンスを披露していたら、彼は絶対にサインしていただろうね」と冗談交じりにコメント。


















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