India.Arieが「Video」で問いかけたこと。「自分の価値は、誰が決めているのか?」


India.Arieのデビュー曲「Video」に込められた「問い」
「ありのままの自分を愛そう」という自己肯定の歌に聴こえるIndia.Arieの「Video」
「私は、あなたがミュージック・ビデオの中で見慣れているような美女じゃない。
スーパーモデルみたいな体型でもない。
でも私は、自分自身を無条件に愛することを学んだの。
だって私はクイーンだから。
私の価値は、着ている服の値段で決まるものじゃないわ。
何を着ていたとしても、私はいつだって私(India.Arie)なの」
India.Arie - Video
しかし、この曲を聴いて浮かび上がってくるのは、「自分の価値は、誰が決めているのか?」という問い。
「Video」がリリースされた2001年は、TikTokやInstagramは存在しなかった時代。
それでも、テレビやミュージック・ビデオ、ファッション誌などには、「細い身体」「整った顔立ち」「高価な服」「洗練されたメイク」など、「美しい女性とはこういうもの」というイメージが溢れ、そうした理想像と自分を比べるうちに、「私には足りない」と感じるようになる。
けれど、その「足りない」という感覚は、本当に自分自身から生まれたものなのだろうか。
ここで重要なのは、彼女が「美しくなること」や「おしゃれをすること」そのものを否定しているわけではなく、「そうでなければ価値がない」という考え方に目を向けている点。
「もっときれいになりたい」
「好きな服を着たい」
「誰かに魅力的だと思われたい」
そう願うこと自体は、本来、自然な感覚。
しかし、それがいつの間にか、「きれいでなければ愛されない」「人から認められなければ価値がない」という条件に変わったとき、私たちは自分自身の価値を、他人の評価に委ねてしまう。
だから「Video」は、シンプルな自己肯定の歌ではなく、むしろ、「私たちは、社会やメディアが作り上げた基準に、いつの間にか支配されていないだろうか?」と問いかけてくる楽曲なのかもしれない。
「鏡を見ると、そこにいるのは私ひとり。
私の顔にあるすべてのそばかすは、あるべき場所にあるって思える。
神様は、私を創る時に何ひとつ間違いを犯さなかった。
この足も、この太ももも、この唇も、この目も、目にするものすべてが愛おしい」

そして、この曲が問いかけていることは、2001年当時だけのものでもない。
SNSを開けば、他人の美しさ、豊かさ、そして成功が、絶えず目に入ってくる。
「もっと美しく」
「もっと幸せに」
「もっと自分らしく」
一見すると、「自由」を与えてくれる言葉さえ、ときには「今のあなたではまだ足りない」というメッセージに変わってしまう。
けれど、「もっとこうなりたい」という願いと、「そうならなければ自分には価値がない」ということは、本来、同じではないはず。
人からの評価と、自分自身の価値は、別の問題なのだから。
そして、India.Arieがこの曲で示すのは、誰にでも当てはまる「正解」ではなく、彼女自身が人生の中で見つけてきた、ひとつの答え。
「私はひとつの結論に達したの。
こんな概念はすべてただの幻想で、「混乱」こそがこのゲームの名前。
誤解であり、壮大なまやかしだわ。
何かが変わらなきゃいけない。
気を悪くしないでね、これはあくまで私の意見。
私が言っていることは法律でも何でもないから。
人生で学んだことを告白しているだけ。
それをみんなに伝えるために、ここへ来たの。
だから、自分に合う場所にいて、輝き続けよう。
心をクリアにして、今がその時よ。
不満やコンプレックスは置いておいて、自分を愛して。
だって、すべてはきっと上手くいくから」



































