お蔵入りした別バージョンも制作されていたUsherの『My Way』。しかし、L.A. Reidの判断は「魔法がなかった」

更新日:8月27日

メイン・プロデューサーにJermaine Dupriを起用した『My Way』
'97年のリリースから25年が経過した2022年に、25周年記念盤が発表されたUsherのセカンド・アルバム『My Way』
Usher - My Way (25th Anniversary Edition)
'94年に発表したUsherのデビュー・アルバム『Usher』には、Sean "Puffy" Combs、L.A. Reid、Chucky Thompson、Al B. Sure!、DeVante Swing、DJ Eddie F、Dave Hall、Brian Alexander Morganなど、当時のトップ・プロデューサー陣が集結。
しかし、全米アルバム・チャートでは最高167位という結果。
それから3年後に発表したセカンド・アルバム『My Way』では、当時頭角を現していた気鋭のプロデューサー、Jermaine Dupriをメイン・プロデューサーに起用。
デビュー作から方向性を大きく転換した結果、全米アルバム・チャート最高4位を記録する大ヒットとなり、前作から大幅に順位を上げることに成功。
Usher ('94)|167位
My Way ('97)|4位
しかし、当初の予定ではJermaineではなく、別のプロデューサーを『My Way』に起用する予定だったという。

『My Way』は、当初Dallas Austinを起用する予定だった
Usherは、デビュー時にBabyfaceとL.A. Reidが立ち上げたレーベル[LaFace Records]と契約し、同レーベルからデビュー・アルバム『Usher』とセカンド・アルバム『My Way』の2枚のアルバムをリリース。
デビュー・アルバムのエグゼクティブ・プロデューサーを務めたのは、Mary J. Bligeを育てたSean "Puffy" Combs。
チャートの結果こそ振るわなかったものの、L.A. Reidは自伝『Sing to Me』の中で、Puffyの手腕を次のように絶賛。
「素晴らしかったのは、私は大ヒット曲を聴いたわけではなく、曲よりも重要な『スタイル』を確かめられたことだった。私は、曲よりもスタイルを探している。PuffyからUsherのヒット曲を求めていたわけではなく、スタイルを求めていた」

そしてUsherは、セカンド・アルバム『My Way』の制作時には青年期を迎え、数多くのプロデューサーやソングライターと仕事をするよりも、自分自身の音楽性をより強く表現したいという思いを抱くようになっていたという。
そこでL.A. Reidも、Usherの個性や音楽性をより明確な形に仕上げる必要があると考え、アルバムのメイン・プロデューサーとして1人の人物を指名。
それが、Dallas Austinだったとのこと。

Dallasと言えば、Boyz II Menのデビュー・アルバム『Cooleyhighharmony』のメイン・プロデューサーを務め、その他にも[Motown Records]所属のAnother Bad Creationなど、ボーイズ・アーティストの制作に定評があったプロデューサー。
しかし、UsherとDallasが制作した音源を聴いたL.A. Reidは、次のような結論に至り、Dallasに代わるプロデューサーとしてJermaine Dupriを起用することに。
「魔法がなかった」
この時点で、JermaineはUsherのような男性ソロR&Bシンガーと仕事をするのが初めての経験だったものの、スタジオ内外でUsherと共に多くの時間を過ごし、この経験がUsherの実体験を反映するのに大きく役立ったという。
当時の様子を、Jermaineは「Rated R&B」のインタビューにで次のようにコメント。
「俺は彼が何をしたいのかを非常に注意深く聞いたんだ。彼がやりたがらないことを、彼にやらせようとしたことは一度もないよ。俺は、ただスタジオに放置されている曲を与えたわけじゃないんだ」

またUsher自身も、Jermaineの手厚いサポートに深謝の意を述べており、「Complex」のインタビューで受けた「スタジオでBabyfaceからいくつかのことを教わったと聞きました」という質問に対し、次のようにコメント。
「それはBabyfaceだけじゃなく、むしろJermaine Dupriこそ俺がライターになるのを本当に手伝ってくれた人だったよ。彼は、俺自身の声を見つけるのを手助けしてくれたんだ」






































