[LaFace Records]が初めて契約したDeVyne Stephens
L.A. ReidとBabyfaceの2人が、米ジョージア州アトランタに本拠地を構えるレーベル[LaFace Records]を立ち上げたのは'89年のこと。
両者が得意とするR&Bリスナーへのアプローチはもちろんのこと、ポップス・マーケットにも訴求する上品でメロウなサウンドを主体にファン層を広げ、結果的に’90年代の音楽シーンにおいて、チャートの上位を占める大半が[LaFace Records]が絡みと言っても過言ではないほど、数えきれないヒット曲を量産し続けた'90年代R&Bシーンを代表する最重要レーベルの1つ。
そんな[LaFace Records]の記念すべき第1弾アーティストとしてデビューしたのが、男女デュオのDamian Dame。
Damian Dame
Exclusivity
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'91年にアルバム・デビューを飾ったDamian Dameですが、実は彼らよりも早く[LaFace Records]からデビューするかもしれなかったアーティストがいました。
それが、DeVyne Stephensという人物です。
Akonを成功に導いたエグゼクティブDeVyne Stephens
[LaFace Records]が初めて契約したアーティストとされるのが、[LaFace Records]の本拠地と同じ米アトランタ出身のDeVyne Stephens。
実はこの人、Akonの才能を見出した人物で、Akonも「もしStephensがいなかったら、自分の力は最大限発揮出来なかったと思う」と言うほど絶大な信頼を寄せており、Akonのデビュー・アルバム『Trouble』、そしてセカンド・アルバム『Konvicted』は、DeVyne Stephensのレーベル[UpFront Records]を通じてのリリース。
レコード契約の交渉や、アーティストのマーケティング、曲が売れるか否かをジャッジするなど、目立たない位置でアーティストや曲をヒットへと導く陰の功労者的な人物ながら、DeVyne Stephensの確かなセンスがR&Bシーンの発展に貢献してきたことは紛れもない事実。
DeVyne Stephensの具体的な功績としては、12歳の頃からUsherを指導し、Ciaraがデビュー・シングル"Goodies feat. Petty Pablo"をリリースする前に彼の施設でトレーニングを受けたり、またTLCのT-Bozは「Michael Jacksonが今まで見た中で最高のダンサーで、DeVyneは世界で2番目に好きなダンサー」と「Today」の記事に語っており、これらはDeVyne Stephensの功績のほんの一部。
今やR&B界のエグゼクティブとなったDeVyne Stephensですが、かつては表舞台に立つアーティストを夢見ていた時期があったとのことで、DeVyne Stephens本人いわく「私が[LaFace Records]と初めてサインしたアーティストの1人です」と語っています。
ちなみに、当時グループとして[LaFace Records]と契約したそうで(恐らくR. Kelly & Public Announcementのように、DeVyne Stephensの名前を全面に出したグループ)、しかしアルバム・リリース前にグループは解散してしまい、裏方に徹する道を選んだとのこと。
無数のアーティスト達を、持ち前のセンスでトップへと導いた抜群のセンスを持っている人物だけに、もし彼らが[LaFace Records]からデビューしていたら、その後のR&Bシーンは今とは大きく違う姿になっていたのかもしれないですね。