R&B SOURCE編集部
Ne-Yo▶︎▶︎メジャー契約を躊躇していたニーヨに対し、L.A.リードがかけた押しの一言とは?
更新日:8月3日

「あぁ、これはダメだな」
2006年に発表されたデビュー・アルバム『In My Own Words』がいきなり全米アルバム・チャートを制し、同アルバムに収録された"So Sick"も、全米シングル・チャート1位を達成するなど、文句のつけようがない完璧なデビューを飾ったシンガー/ソングライターNe-Yo。
In My Own Words
Ne-Yo
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Ne-Yoはアーティストとしてデビューする前、他のアーティストへ楽曲を提供するソングライターとして活躍しており、R&BシンガーMarioの最高傑作"Let Me Love You"を手掛けるなど、裏方として既に大きな成功を掴んでいました。
その後、Ne-Yoは『In My Own Words』のリリース元である[Def Jam]とアーティスト契約を結ぶことになるわけですが、この時Ne-Yoは裏方のソングライターとして十分な収入があった為、アーティストとして表舞台に立つことを迷っていたとのこと。
Ne-Yoが[Def Jam]と契約するまでの経緯は色々な情報があり、一部ではNe-Yoが当時の[Def Jam]の社長Jay-Zのオーディションを受けたという話もありますが、2021年にNe-Yoが「Billboard」のインタビューに答えた内容によると、Ne-Yo自身が[Def Jam]のオフィスを偶然訪ね、そこで急遽歌を披露する場面が訪れたことがきっかけだったとのこと。
この話のキーマンは、'90年代にデビューしたR&BグループSomethin' for the PeopleのメンバーCurtis "Sauce" Wilsonで、彼はNe-Yoの知人であり、またNe-Yoのボーカル・プロデューサーを務めていた人物。

Ne-YoとCurtis Wilsonは、当時米ニューヨークで様々なレーベルに自分達の音楽を売り込んでいた時期で、ある日2人はホテルに帰る途中に[Def Jam]のビルの前を通りかかり、Curtis Wilsonは「高校時代の友人がここで働いているんだけど、何年も会っていないからちょっと挨拶したい」と言ってビルの中に入ったものの、Ne-Yoはこの時点で既に[Def Jam]へも売り込み済みだった為、あまり乗り気じゃなかったようです。
Curtis Wilsonの友人は、[Def Jam]のA&R部門の責任者を務めていたTina Davisという女性で、当時Ne-Yoは彼女が何者なのかも全く知らず、部屋の隅で久々の再会を楽しんでいる2人の様子を見ていたとのこと。

そしてTina Davisの「最近何してるの?」という一言で事が動き出し、Curtis Wilsonは「彼のような作家と仕事をしているんだよ」と答え、Ne-Yoのデモ音源を彼女に聴かせたところ、「何か見せて欲しい」と言われて急遽オーディションが始まったとのこと。
この時のNe-Yoは空腹で、軽く挨拶した後に早くディナーに行きたかったようですが、チャレンジから逃げるタイプではない彼は、Tina Davisの前で全力で歌を披露。
しかし、Ne-Yoのパフォーマンスを無表情で聴いていたTina Davisの態度を見て、Ne-Yoは「あぁ、これはダメだな」と思いつつも、そもそもオーディションを受けに[Def Jam]に来たわけでは無かったので、全く気にしなかったようです。
そして、Tina Davisの「あなたを刺激するアーティストはいますか?」という質問に対し、Ne-Yoは「実のところいないですね」と答えるも、まるではかったかのようにUsher"Yeah!"のMVがその場で流れ、「アーティストになるとしたら、多分この人みたいな感じですね」と答え、Tina Davisはある人に電話をしたとのこと。
「もしもし、Reidさん?あなたが会いたいかもしれない人がいますよ」

「一体何が起こったんだ?」
Tina Davisのはからいで、L.A. Reidがいるオフィスへと向かったNe-Yoは、L.A. Reidに会ってこう言われたとのこと。
「君が次のビッグな存在なんだね?」
ご存じ、L.A. ReidはBabyfaceと共に'80年代からヒット曲を量産してきた音楽プロデューサーで、当時[Def Jam]の会長を務めていたエグゼクティブ。
L.A. Reidがいたオフィスには複数人がいて、Tina DavisはNe-Yoのデモ音源を彼らの前で流し、この時かけた音源は、「タクシーの席に座り窓に『Lonely』と書いて、外から見ると逆さまに見える」というコンセプトから書いたという"YLENOL"という楽曲だったそうで、Ne-Yoの自信作の1つだったとのこと。
しかし、L.A. Reidを含むその場にいた全員は無表情で、何のフィードバックもないまま「本当にありがとう。外で待っててくれる?」と言われ、約1時間ほどロビーで待つことに。
そもそもNe-Yoは、[Def Jam]へオーディションを受けに来たわけでは無かったことから、一緒に来たCurtis Wilsonに「もう行こうよ。何かを決めるのにこんなに時間はかからないだろう」と言って帰ろうとしたところ、L.A. Reidの助手が現れ「Reid氏が、あなたと契約をしたいから、あなたの弁護士の情報を知りたいと言っています」と言われたとのこと。
Ne-Yoは、学生時代にEnvyというグループのメンバーとして活動し、アーティスト契約を結ぼうとトライしたもののの挫折し、その後も[Columbia Records]に在籍するもアーティスト・デビューできず、またDr. Dreとのアーティスト契約も白紙になったりと、幾度となくアーティスト・デビューが阻まれてきたこれまでの経緯から、アーティストじゃなく裏方の作家になろうと方向転換した矢先だった為に、「今、一体何が起こっているんだ?」と戸惑いを隠せなかったようです。
関連記事: デビュー前にDr. Dreと契約目前だったものの、Ne-Yoに「ある要素」が足りずに契約破棄に。

「なぜ君を変える必要があるんだい?」
しかし、L.A. Reidから[Def Jam]との契約を打診された際、Ne-Yoは躊躇していたとのこと。
というのも、Ne-Yoが[Columbia Records]に在籍していた時、レーベルがNe-Yoの為に用意したというデビュー・シングルは、明らかに聴き覚えのない「自分以外の声」で作られた楽曲を勝手に用意され、「これは俺の曲じゃない。もっと自分らしい曲を作りたい」と伝えるも、「予算が底をついたからダメだよ」と言われるなど、かなりずさんな管理体制だったことに加え、レーベルの人間は街へ行くと5,000ドルもするディナーへと連れて行ってくれるも、その支払いは全て自分の作品の売り上げから前借りして支払われていることに気付くなど、メジャー・レーベルへ不信感を抱いていたNe-Yo。
こういった背景があったことから、Ne-Yoは[Def Jam]との契約を前に、L.A. Reidにこう伝えたとのこと。
「俺がアーティスト・デビューを望んでいることは理解して欲しいけれど、必ずしも俺にとって必要なことではないんだ。俺が全くの別人になることを強いるなら絶対に許さない」
この言葉を聴いたL.A. ReidはNe-Yoにある言葉をかけ、この一言がきっかけでNe-Yoは[Def Jam]との契約を決めたそうです。
「彼が俺に言った言葉は、俺が今まで聞いた中で一番美しい言葉だった。彼は俺にこう言ってくれた。『私はすでに君のやっていることが好きだよ。なぜ君を変える必要があるんだい?』」
